<41/続100>新府城(山梨県) | カメラ片手に日本百名城巡りのブログ

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2024.05.25

 新緑の山城を歩きたい。今週は山梨県の続100名城2城と武田家の足跡を辿る旅。

 朝名古屋を出発し、中央道で諏訪湖をまわって須玉ICで降りる。しばらく一般道を曲がったり登ったり進むと、新府城と傍に駐車場があるはずだった。それなりに車の通りも多い県道に。しかし、NAVIは「到着しました」といっているのに駐車場がわからず、果樹園のある細い農道をうろうろ。近くの人に聞くと「県道の脇にあるよ」と教えてくれる。あるはずなんだけれども見つからない。しばらく探していると、道の脇に資材置き場のようなところがある。「これ?」広い駐車場なのだけれども、道路の拡張工事を行なっている関係で工事用車両や資材が一部に置かれている。ただ新府城の案内もある。資材置き場かと思った。やっと見つけた。

 駐車場から新府城の北側を望む。

 車を停めて道を渡ると、台形の遺構が見える。案内板によると、出構え(でがまえ)という設備らしく、新府城でしか見られない遺構とのこと。鉄砲による戦いが主流になったので城の一つ前に出て戦うための設備ではないかということだ。「あぁ、小さい真田丸ね」(←解釈が正しいかは不明)

 県道を少し歩くと、新府城の碑と神社の階段がある。 階段はずーっと上まで続いている。新府城の本丸には「新府藤武神社」という神社があり、神社に向かう階段となっている。これがまたキツイ。何段も何段も一直線に続く石段。後ろは見たくない。休み休み行ってやっと登り切る。上から覗くと高所恐怖症でない僕でも怖い。

 まずは神社にお参りして、散策開始!

 祠の近くに新府城本丸跡の碑。

本丸の周りは土塁で囲まれている。

 本丸はかなり広い。

 また、本丸から見える八ヶ岳が美しい。やはり新緑の季節はいい。

 さて、新府城は織田信長や徳川家康に圧迫を受けた武田勝頼(信玄の子)が武田3代に渡って居住してきた躑躅ヶ崎館(甲府市:現在の武田神社)から、新たにここに城を築き移った。しかし、城の完成前に織田軍に攻められたため、城に火をかけ撤退。家臣の小山田信茂が守る岩殿城を頼ったが、信茂に裏切られ、ゆく処なく天目山で最後を迎えたという悲劇の城でもある。武田贔屓の自分は「新府城が完成していたら時代が変わったのかな?」と思うこともあるが、時代の流れには抗えなかった?滅ぼされる時期が少し長くなっただけで大勢に影響はなかったのだろう。

 また、階段を降りるのか、万が一転んだら下まで真っ逆さま。大怪我で済めば良いがといった感じか?そうして階段を少し降りたところ、脇道を見つける。普通の登山道のようだ。そちらに降りで行くと、先ほどの東の出構えに出た。出構えの下に降りたりして再度見学。築城当時はもっと高かったのかな?と思いを巡らす。

 新府城の見学はここまで。次に向かうのは「韮崎市民俗資料館」。なぜなら新府城のスタンプがあるから笑。9時オープンと同時に入る。中には新府城のジオラマや縄文時代からの出土品が展示されている。

 さらに、資料館の裏にはNHK連続テレビ小説「花子とアン」のセットが残されている。

 セットの横には明治時代(だと思う)に建てられた蔵座敷が現存しており、これも、十字架などをつけて教会としてドラマに登場したとのこと。蔵座敷は夏はとても涼しそうだ。

 次は甲府駅前の藤村記念館に向かう。理由は要害残城のスタンプがあるから笑。スタンプと要害残城の情報を集めて登るゾ。

つづく。