<40/続100>佐柿国吉城(福井県) | カメラ片手に日本百名城巡りのブログ

カメラ片手に日本百名城巡りのブログ

相棒のカメラを持って日本百名城巡りしてます。
Instagramではお城の写真以外も公開しています。https://www.instagram.com/mikiito.1018/

2924.05.19

 三方五湖湖畔のホテルで1泊して、翌日は佐柿国吉城と玄蕃尾城2城を目指す計画。しかし、昼過ぎから雨予報。せめて佐柿国吉城だけでも登りたい。

 情報収集とスタンプをもらうため若狭国吉城歴史資料館を目指す。9時開館のところ5分前に到着。資料館の方が「登山前にトイレ寄る場合はもう少し待ってね」と優しく声をかけてくれた。

 開館と同時に入り、地図とパンフレットをもらい、併せて続100名城のスタンプを押す。資料館は国吉城に登ったあと見ることにして、主郭に向け出発!

資料館の脇を抜けるとすぐ裏に城主の居館跡の礎石を見ることができる。戦国時代多くの場合は山の麓に住んで政治を行い、いざとなったら裏の山城に籠城するということが多い。この城も平時はここで政務を執り、戦の時はこれから登る山城に籠城したのだろう。理にかなっていると思う。

 しばらく、山道に設置された階段を登っていくと、熊避けの柵に出る。山から降りてきた熊がこの柵を超えて民家のあるところに入ってこないために設置されたものなのだだろう。この柵を越えるということは、僕は何からも守られなくなるのだなと覚悟を決める(←少し大袈裟)。まぁ今回このために“熊鈴”を買ってきており、チリンチリン鳴らしながら歩いている。いざ、扉を開けて山頂を目指す。

 道は整備されており、階段が続く。ただ、これがどこまでもどこまでも続く。

 山の斜面を折り返しながら、少しずつ標高を上げていくのだが、いくら上を見上げても頂上らしきものは見当たらず、どこまで続くかわからない階段を登り続ける。

 登り始めて30分ほどで主郭の下に至る。ここには大きな堀切があり曲輪と主格を分断している。

 まず主郭に向かうのだが、ここからは階段ではなく急斜面を登らなければならない(距離は短いが)。かなりの急勾配で「下り僕は大丈夫なのか?」と心配してしまうほど。それでも急勾配を登り切ると主郭部分が広がる。

 それなりの広さがあり、十分兵隊を養うことができたと思われる。主郭の周りにも土塁が築かれ、守りを固めていたことがわかる。戦国時代、城主粟屋勝久は6年にわたり越前の朝倉軍と戦い城を守り抜いたことから“難攻不落”とも言われているらしいが防御はとても硬い城だったことがわかる。

 さて、主郭からは三方五湖や佐柿の街並みを見てみよう。

登ってきた自分へのご褒美といったところだろうか?ただ天気はどんよりした曇り。雨が降り出す前に下山するとこにする。

 下山途中、主郭から曲輪の方を見ると、何段にも重ねられた段々畑のような曲輪を見ることができる。こういうところにも長期の籠城戦を耐えむいた理由があるのではないだろうか?

 帰りは、登りより少し速く30分ぐらいで資料館まで戻ってくることができた。それから資料館を見学し、次なる続100名「玄蕃尾城」に向かおうと思ったのだが、雨雲レーダーでは玄蕃尾城周辺に雨雲が近づいている。玄蕃尾城はまた次の機会とし、名古屋に戻ることとした。

今回の福井県続100名城巡りはここまで。次は山梨県の続100名城を巡る。