<お城じゃないけど>対馬観光(島中央部編) | カメラ片手に日本百名城巡りのブログ

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2024.05.04

 無事金田城を見ることができ、これで今回の大きな目標を1つ達成。ここからは残り少ない時間、対馬観光を満喫したい。とは言え対馬は大きな島(佐渡、奄美大島に次ぐ大きさ)で今回は北部に行くことはできない。島の中部を観て、15:40厳原港発博多行きフェリーに乗船する予定。

 さて、金田城の次に向かうのは姫神山砲台跡。観光タクシーをお願いするにあたり、僕から是非行きたい!とリクエストしたところ。日露戦争時に造られた砲台の跡が比較的きれいに残っているという。

 砲台へ向かう道は、まーた狭く長い登り道。前から車が来たらどちらかが長いバックで道を譲るしかない。金田城と同じ建設資材や砲弾を運ぶための軍道がそのまま残っている感じ。軍道を進むこと5分程、開けた駐車場に車を停めてそこから歩き。徒歩10分ぐらいで砲台後に到着。

説明看板と28cm榴弾砲の模型。

倉庫?弾薬庫?まるで天空の城ラピュタのような趣。

砲台跡

 ここには6門の砲台が据え付けられており、対馬の東側に睨みを利かせていた。さらに太平洋戦争終戦まで砲台として機能していたとのことだ。

姫神山砲台跡駐車場から望む浅茅湾(あそうわん)

 次に向かうのは、和多都美(わたつみ)神社

 わたつみ(わだつみ)とは海神の古語で、ここは海幸彦伝説の発祥の地とのこと。祭神は彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)<海幸彦>とその妻、豊玉姫命(とよたまひめのみこと)。この神社はこの海に延びる鳥居が有名で、訪れた時間が干潮だったため、沖の鳥居近くまで歩くことができた。

なお本殿はこちら、鯉のぼりが飾られている。

本殿の傍から神社裏の原生林にまわると、豊玉姫命の墳墓とされる大岩が祀られている(撮影禁止)

 観光タクシーの楽しみはランチ。運転手さんおすすめの穴場に連れて行ってもらえることが楽しみ。お昼を超えたしそろそろランチかな?「運転手さん、ランチはどこにするんですか?」「あぁ、ランチですか、ちょっと時間がないのでコンビニかスーパーでお弁当買うでもいいですか?」あらっ?期待が外れた。たまにあるんだよねこのパターン。時間制の観光タクシーでランチに時間とるのはもったいないとクレームをいう人がいるのだろうか?まぁアナゴの天ぷらも対州そばも既に食べてるし、船の中でコンビニのおにぎりでも食べるとするか。

 本当はこの後、近くにある烏帽子岳展望台から対馬のリアス式海岸の絶景を見るのだが、以前の大雨で道が工事中で通行止。これは神様から「また来いよ」というメッセージなのだろうか?

 その後、赤島大橋からエメラルドグリーンの海を見て、住吉神社でお参り。ここにも海に延びる鳥居が。船に乗ってお参りするためだろうか?

 観光タクシーもいよいよ終盤。車は出発した厳原に戻る途中、万関橋(まんぜきばし)に寄る。

 ここは、対馬でも地理的に陸地が細くなっている場所で、日露戦争時巡洋艦が通れるように運河を掘削した場所となっている。

じゃぁ対馬は今は島2つなのかというと、地理的には違うらしい。1つの島を人工的な運河などで分断しても、2つとはカウントしない。これを知ったのは実はかなり昔のことで、江戸時代、利根川の付け替え工事をしたことにより、現在千葉県はカヌーで1周できてしまう(許可が下りる下りないは別)。つまり千葉。しかし、利根川の付け替え工事が人の手によるものだから、千葉は島としてカウントしないとのことだ。当時、千葉県がカヌーで1周できることに衝撃を受けたことを覚えている。

 最後厳原に戻り、桟原城(さじきばらじょう)の石垣を見学。宗氏は朝鮮通信使をもてなすために金石城とは別に桟原城を築城。現在は陸上自衛隊の基地となっているが、当時の石垣が一部残されている。

 近くにある、藩校「日新館」正門跡を見学して対馬観光終了。コンビニに寄っておにぎりを購入後、厳原港でタクシーを下車。運転手の方にはホント感謝しかない。

 予定通り15:40の博多行きフェリーに乗り対馬を後にした。

 天気にも恵まれたが対馬は楽しかった。金田城もまだ入口までしか行けてないし、烏帽子岳展望台にも行けてない。さらに北部には行くことができなかった。また対馬に来てみたいと思った。

 旅はこのあと、福岡県続100名城巡りへと移る。

(続く)