2024.05.04
前日、腰を痛めてしまったために計画変更が必要となった。
<当初>
5/3 ほぼ1日使って金田城見学(余った時間で厳原エリア観光)
5/4 観光タクシー(6H)で対馬中部エリアまでの観光後、フェリーターミナルで下車
<計画変更後>
5/3 小茂田浜(当初計画になし)と厳原観光を手厚め
5/4 6時間の観光タクシーに金田城をねじ込みその他対馬観光
変更した計画では金田城をゆっくり観て周ることができない。パンフレットにも往復2.5時間と書かれており、歩くのが遅い僕はさらに時間がかかってしまう。そのため今回は城の入口東南角石塁までとすることにした。それでも往復1時間は必要。朝タクシーの運転手さんにまず金田城に行って欲しいことを伝えホテルをスタート。
出発から20分ほど走ると金田城の案内看板がありそこを曲がる。ここからは狭い道が続く。車1台が通るのがやっと、ガードレールもないので脱輪したら谷底へみたいなところだ。自分の車で来たくないな。明治の日露戦争期に金田城に日本軍の砲台が建設されて、物資を運ぶための軍道とされていた道だ。車の都合など考えられていない。
さて、狭い道を進むこと10分ほどで登山口に到着。車3、4台が停められるスペースしかなく、ゴールデンウィークであるこの日はすでに満車となっていた。僕たちは駐車場に入れることができなかったので、運転手さんには待っていてもらい1人で登城することになった。
登山口には説明用の看板と国の特別史跡であることを示す碑が建てられていた。
先ほども触れたように、砲台へ建築資材や砲弾などを運ぶための軍道だったため、しばらくは平たくスロープのような道が続く。しかし落ち葉に隠れてはいるが所々岩盤が剥き出しになっており、躓く危険がある。
登ること20分程で海の見える見晴らしの良いところに出た。ここまで来れば、今回の目的地「東南角石塁」は近い。
見晴らしのいいところに出ると暑い。でももう少しだ。さらに歩くこと5分で目的地に到着。
海に向かって延びる石塁がすごい。いろいろなところで石垣は見るが、7世紀に積まれた石垣が1300年以上経った現在も観ることができることが素晴らしい。妻子を残してやってきた防人(さきもり)と同じところに立ち、おそらくそれほど変わっていない風景を見ていたのだろう。
これまでも、鬼ノ城(岡山県)や大野城(福岡県)など古代山城は見てきたが、対馬という国境の島で、海と石塁を一緒に観るのは違った感動が沸き起こる。
近くには掘立小屋の後もある。兵士の待機場所だったのか?武器庫だったのか?それとも両方か?今となってはわからないが、ここを飛鳥時代の人たちも行き来していたのだろう。
さて、金田城の見学今回はここまで、この奥には城戸や水門跡などがあり進みたいところだが、身体と時間両方の意味で一杯一杯。腰を痛めてもここまで来れたことに感謝しなければ。
今来た道を引き返すことに。運転手さんが待っている。帰りは下りだが所々凸凹しており、油断すると転んでしまう。ここで転ぶとほんとこの後の旅に大きく支障をきたす。
なんとか転ばずに登山口の駐車場に戻る。時間は往復でちょうど1時間。これから対馬のタクシー観光の実質的な始まり。その様子は次の記事で。(つづく)