カメラ片手に日本百名城巡りのブログ

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相棒のカメラを持って日本百名城巡りしてます。
Instagramではお城の写真以外も公開しています。https://www.instagram.com/mikiito.1018/

2024.6.16

 2日間金沢で食べたり飲んだり、まるで竜宮城のような生活(出費大)を送った後、この旅行の最終日は石川県白山市の鳥越城を見て名古屋に帰る計画。

 今回の旅の前から分かってはいたのだが、鳥越城の登山道が2022年の集中豪雨により崖崩れが発生し登城できない。そのため麓の鳥越一向一揆歴史館に向かい鳥越城の歴史を学ぶこととなった。歴史館の名前からも分かるとおり、この城は加賀一向一揆の拠点として織田信長に最後まで抵抗した場所で、近くの二曲城(ふとげじょう)と共に国の史跡に指定されている。

 歴史館では、加賀でどのように一向一揆勢力が拡大し、滅びてしまったのか?25分ほどの解説動画で知ることができるほか、現場から発掘された遺物等の展示品を見学することができる。

 受付で続100名城のスタンプをいただいた後、受付の方達と時間があったので少しお話しすることができた。それによると来春(2025年春)には、道路の工事も終わり、鳥越城の見学が可能になる予定だとのことだった。楽しみだ、その時にはまたぜひ訪問したい。

 これまで、100名城および続100名城併せて148城巡ってきたけれども、全く城を見学することができなかったのは今回が初めてだった。麓から鳥越城がある山を見上げて次の機会に必ず来るぞと誓うのであった。

 白山市鳥越は、少し内陸に入る。ここから名古屋に戻るルートをカーナビに検索させると、北陸道で帰れと指示が出るが、今回は時間もあることからそのまま南下し、手取川ダムを越えて白山市の白峰、次に福井県勝山を抜け、九頭龍川沿いに進み、油坂峠を越えて白鳥ICで東海北陸道に合流し一宮を経由して名古屋に戻ることにした。

 途中、九頭竜の道の駅で福井名物おろしそばと舞茸のおこわをいただく。

 舞茸のおこわが特に美味しかった。

 さすが福井。道の駅には動くティラノサウルスが展示されている。遊びに来た子供も大喜びの様子だった。

 これで今回の新潟、富山、石川の続100名城巡りは終了。東海地方は梅雨に入り、天気が悪いことと暑いこともあり、一旦続100名城巡りは休憩することとする予定(気が変わる可能性もあり)。

おわり

2024.06.15

 前日の夜は金沢でちょっと飲みすぎたけど、今日も元気に山城めぐり。予想最高気温は30℃、ホントに新緑の春山から青葉の夏になったことを思い知らされる。

 この日、向かう増山城は富山県砺波市にある山城。砺波と言えば「平野・田んぼ・散居村」のイメージで山や山城のイメージはあまり浮かばない。正直、続100名城めぐりで初めて知った城。どんな城なのか楽しみ。

 砺波ICで車を下ろし、まず砺波市埋蔵文化センターへ向かう。ここには増山城についてのパネル説明や、ジオラマなどが展示されているほか、砺波市周辺の古代からの出土品なども展示されている。 ここで続100名城スタンプをもらうとともに、係の方行き方なども教えてもらう。

 埋蔵文化センターから車で走ること10分。カーナビの設定を間違え、しばらくウロウロ車を走らせたが、無事増山城の駐車場に到着。

 増山陣屋という施設があり、トイレなどの休憩施設となっている。

 自動販売機で水を買って出発。アスファルトの車道を渡り、和田川ダムの上を歩く。100m歩いただけで汗が出る。ダム正面に見えるのが目指す増山城。

 ダムを渡った先に冠木門と簡易トイレがある。いよいよ登城開始。

 木陰なので少し涼しいがやはり暑い。しばらくは森林の中を進む。少し広いところに出た。F郭という曲輪跡らしい。ここからいくつもの曲輪が続く。F郭の一つ上にある一の丸は比較的広い曲輪となっており、眺望が開け砺波市内を見渡すことができる。

 もちろん、この城があった当時はこのような杉の植林などはなかったのだから、他の郭からでも砺波平野を見渡すことができたのであろう。

一の丸から二の丸に上がるところには、石垣の跡が残されている。

 この石垣を登ったところに、二の丸と呼ばれる曲輪がある。ここの曲輪が最も大きく、かつ標高の最も高いところにあるため、二の丸が本丸の役目を果たしていたらしい。看板もあるし、二の丸到着をもって登城成功。

二の丸の奥には、櫓台の跡が残っていた。今はただの土山だが、当時はこの上に建造物があったのだろう。

 ↓堀切

 なかなか歴史上にも出てこないこの増山城、埋蔵文化センターのパネルによると、いつ頃築城されたかはわからないものの、戦国時代に神保氏が整備した城らしく、上杉謙信の越中侵攻した際は、神保長職(ながもと)はこの城に立てこもり戦っている。その後も加賀から侵攻してくる一向一揆勢と三つ巴の戦いが繰り広げられたとのことだ。

 二の丸付近を20分ほど散策、休憩したのち同じ道を下山する。僕の遅い足で登り25分、下り15分ぐらいの行程だった。

 下山後、汗もしっかりかいたため、高速のサービスエリアで昼食をとり、金沢のホテルに戻る。シャワーを浴びて、次の目的地金沢城に向かう。向かうといっても滞在しているホテルの目の前だし、なんなら部屋からお城を見ることができる。さらにさらに、大学時代(この城内がキャンパスだった)や金沢勤務時代もう数えきれないほど来ている。来ているのだが、最近(と言っても3年ぐらい前)城の西に「鼠多門」ができたとのことで早速行ってみる。

 金沢市もまたでかい櫓門造っちゃって!漆喰部分が黒い海鼠壁(なまこかべ)は大変珍しいそうだ。また木造で作ったのはすごいな。金沢城はどんどん再建されてゆく。聞いたところによると二の丸御殿も再建するとか?僕がいた頃には、資料が少なくて再建は難しいって言ってたのに、いよいよ造っちゃいますか?金沢市さん財政大丈夫でしょうか?歴史ファンとしては嬉しいのですが。

 この後は、友達との飲み2日目。金沢の財政もだけど僕の肝臓大丈夫か?

つづく

 

 

2024.06.14

 上越IC→富山ICと車を走らせ、市街地へ向かう。懐かしいなぁ、実は富山は僕の初任地。もう、20年以上前だけど。

 市街地の真ん中にあるのが富山城。近くには百貨店などもある繁華街。城址公園の地下がパーキングになっているのでそこに車を停める。

 通常の城めぐりであれば、歩いているうちにだんだん石垣や天守が姿を現すが、ここは城址公園の地下駐車場、エレベータを上がると本丸、いきなり到着とうい感じだった。

 旧本丸跡は公園となっており、公園の隅に天守が建っている。工事中で通り抜けはできないようになっていた。また一部公園のトイレも工事中で使用できない状態となっていた。なぜこのように多くの工事をやっているのか?この時はまだその理由がわからなかった。

 天守は、1954年の博覧会開催に併せ建てられた模擬天守で、江戸時代に実際このような建築物があったわけではない。ただ、現在は地域の景観の核となっている建造物として国の登録有形文化財に指定されている。内部は「富山市郷土博物館」となっており、富山や城の歴史を学べる施設となっている。また最上階は展望台となっており、金網越しではあるが富山市内を見渡すことができる。 東側には雄大な立山連峰が見えるはずだったが、この日は雲や霞で見ることができなかった。なお、前の木に止まっている白い鳥の群れはシラサギやアオサギで、ここで営巣しているのだと説明に書かれていた。

 金曜日の午後で客も少なかったことから、受付の方と少し話しをする機会があった。その中で、今行なっている工事は、元日に発生した能登半島沖地震で石垣等が傷んだため、修復工事を行うさらに前の調査のためのものだとのこと。確か昔は富山城のすぐ北側を神通川が流れており、川を今の位置に移しているからまわりの地盤が弱いのだろう。受付の方も「液状化が起きてしまい公園のトイレも使えなくなってしまいまして」とおっしゃっていた。地震の影響がこんな遠いところまで影響しているのだなと実感した。

 さて、富山城には江戸時代の遺構が一つだけある。現在城の東側に移築されているため博物館の見学後行ってみる。

 その遺構とは「千歳御門」と言われる門で、幕末に10代藩主の隠居場「千歳御殿」の正門で、その後2回の移築を経て2007年に現代の場所に落ち着いた。確かに僕が勤務している頃はなかった。

 隠居所の門ということで質素ではあるが、遺構好きの僕には十分。正直千歳御門の存在は、ここに来るまで知らなかったが見ることができて本当によかった。

 最後にお城の内堀を少し撮影し富山城の見学は終了した。車に戻って直接この日の宿泊地金沢に向かってもいいのだが、もう一箇所ぜひ行っておきたいところに向かうことにした。それは“世界一美しいスタバ”と言われるStarBucks富山環水公園店。実は全国のスタバ巡りもしている僕。まぁお城巡りのついでのつもりだが、ここはぜひ行ってみたかった。

 あぁ、綺麗。ちなみにここで注文したのはバナナブリュレフラペチーノ。暑い日にピッタリの一品。

 その後、僕の大学のある場所、また前々任地でもある金沢まで高速で向かい、金沢城前のホテルにチェックイン。この日は知り合いと東山で飲む。飲みすぎたかな?

 翌日は砺波市の増山場に向かう。つづく

 

2024.06.14

 鮫ヶ尾城から車で30分弱。上越市の高田城に向かう。夜桜や外堀のハスの花で有名な城。外堀のハスが生い茂るところを望む駐車場に車を停める。

 しばらく歩くと近代的な煉瓦造りの門跡が見える。昔、陸軍の師団が置かれていた名残らしい。

 城内は公園になっている。桜の時期はさぞかし賑わうことだろう。しばらく歩くと三重櫓が見えてくる。近年新たに木造で建築された櫓ではあるが、江戸時代を偲ぶことのできる建造物となっている。

 見た目他の城との違い、違和感を感じるのは、土塁の上に直接三重櫓が建てられていること。実はこの城はほとんど土塁で囲まれており、石垣は門の周りの一部にしか使用されていない。

 三重櫓が見学できるので行ってみる。途中土橋を渡るのだが、堀幅が広い。江戸時代初期の築城であるため、鉄砲や大砲が届かないようあらかじめ堀幅を広げたのだろう。

 三重櫓が近づいてくる。紫陽花が綺麗だ。

 三重櫓ないは資料館になっており、高田城の歴史がよくわかる。江戸時代の初め、家康の六男忠輝の城として天下普請(幕府が諸大名に命じる普請)によって築城される。しかし、忠輝は不行状により改易。その後、入れ替わりがあるが家康の曾孫(次男結城秀康の孫)松平光長が城主になる。しかしその光長も晩年に起こる“越後騒動”によって改易。最終的に徳川四天王の一人榊原康政の子孫が入府して明治維新を迎える。改易など不幸の多い城である。

 三重櫓に入ると、当時の模型などが展示されている。天守などはなく、三重櫓が天守の代わりを務めていたようだ。本丸には御殿があったとのこと。ちなみに現在の本丸は上越教育大学附属中学校の敷地となっている。

 その他三重櫓内では、日本海の重要拠点である上越市の3つの城、春日山城、福島城、高田城について解説されている映像の上映を見学した。

 最後に、当時枡形があった極楽橋に行ってみる。

 現在は木の橋があるだけだが、模型を見るとこの先に枡形と櫓門があったとのことだ。土塁もこの辺りは削られているので当時を想像することはできないが、きっと立派な枡形と櫓門があったのであろう。

 高田城の見学は以上で、次は富山城に向かう。

つづく

 

 

 

2024.06.14

 今回は新潟県、富山県、石川県の続100名城のうち5城を巡る夜発4日間のドライブ。

 1日目はできる限り最初の目的地の鮫ヶ尾城(妙高市)に近づくため、仕事終了後夜名古屋を出発。中央道を進み塩尻市で前日予約したホテルに宿泊。

 2日目は塩尻のホテルを出発し、長野道・上信越道で2時間弱。鮫ヶ尾城麓の「斐太(ひだ)歴史の里総合案内所」を目指す。

 新井スマートICから10分程で斐太歴史の里の駐車場に到着。駐車場から5分程山道を登った先に総合案内所がある。ちょうど、案内所がオープンした時間だった。

 まず、続100名城のスタンプを押印。その後、受付の方から登城ルートの説明を受ける。東登城道から登り、本丸等を見たあと北登城道から下山するのがいいですよと教えてもらったのでそのルートを選択。登りはなだらかな尾根沿いを進み、帰りは急坂を降りるルートとのこと。「暑いから(この日の妙高市の最高気温予想30度)気をつけて行ってきてください。あと熊鈴もあった方がいいですよ。先日近くの民家に熊が降りてきて、鶏2匹やられましたから」

とありがたい(?)お言葉をいただきいざ出発!

 いったん、「淡水魚の池」に降り池を1/3周程したらそこから山道に入る。途中には、弥生時代後期の住居跡である「斐太遺跡」がある。争いごとが多い時代だったのか、山の中腹に防御性を高めた珍しい遺跡であるとパンフレットには書かれていた。また近くには前方後円墳を2基あるとのことだ。「斐太歴史の里」の意味がわかったような気がする。

 途中、堀切(ほりきり)や郭等を見ることができる。道は歩きやすいところが多いが、1箇所、大きな堀切の所は急な坂となっており安全ロープが張られていたので、流石にここはロープに捕まって登った。その他心配された暑さだったが、木陰を歩くので水を持っていればなんとか耐えられる。ただ、汗っかきの僕の体からは当然のように汗が吹き出していた。2024年春の新緑山城登りシリーズ最後の旅だが、もう夏であることを実感した。

 休んだり、水を飲んだりとゆっくり登って40分ぐらいで本丸に到着。

 天気がよく気持ちいい。もう、新緑というのには少し遅い木々の葉。それでも太陽に照らされて綺麗だ。また遠くを見渡すと新井市の街を一望できる。遠くは少し霞んでいるが、ここに城を建てた理由が分かるような気がした。

 この鮫ヶ尾城は、実際に戦いがあり落城している。上杉謙信が後継者を決めず突然亡くなった(大酒飲みで脳卒中を起こしたというのが有力説)ため、甥の景勝と、北条氏康の七男で上杉に人質として出され、その後謙信の養子となった景虎が対立。1578年に「御館の乱」が勃発。争いは翌年まで続き、景勝側が優勢となり、敗れた景虎は最後鮫ヶ尾城に逃れたが、ここも攻められ自刃して果てた。

 そのため、本丸隣の米蔵跡からは、今でも落城時に燃え黒く焦げた米が出てくるとのことだ(国史跡のため持ち帰り等はできない)。さらに総合案内所には黒く焦げ炭となっているおにぎりが展示されている。

 本丸の東屋で風に当たりながら20分ほど休憩し、汗も乾いたところで北登城道から下山開始。ひたすら森林の中を降る。途中、上信越道の下をくぐり進んだ先が出発地点の総合案内所。降りは30分弱で戻ることができた。この後は、ゆっくり日帰り温泉でも探して入りたいところだが、この後高田城→富山城→金沢(泊)とスケジュールが詰まっているので先に進むことにする。

↑鮫ヶ尾城遠景

次回は、上越市の高田城へ。つづく