6月5日

土浦その2。

前回の記事に同じ写真が二度貼られてたので訂正しました。

 

 

のオプション。

霞ヶ浦に行く道を確認するため

Mapを寄せると、土浦駅のすぐそばに

 

「土浦事故慰霊碑」とあるピンが立ってました。

基本「乗り鉄」なので、鉄道史は特に研究しては

 

いないので、初めて聞くできごとでした。

しかし、知らないまま帰るのもなんだしと、

 

湖を見ながらググってみると、土浦駅で起きた

列車衝突事故と。しかも犠牲者100人前後という大惨事。

WIKIから借りました。事故を端的に伝える写真はこれしか残ってないようです。

 

 

これほどのことを、なぜ知らなかったというと、

発生が1943年。戦時中なのでほとんど表に出ることが

 

なかったからでした。

 

 

事故の概要は複雑で専門的な面があるので

説明すると恐ろしく長くなってしまうので割愛します。

 

が、ウィッキや数少ない地元の人のブログに

詳しく書いてありました。

 

オリジナルの図解が入ったこの記事がおすすめ。

「いばらぎ解体新書」の記事。

 

事故の原因は、一言でいえばヒューマンエラーです。

犠牲者が多数になったのは、旅客列車が衝突し客車が大破。

 

1両は駅手前で渡る「桜川」に転落、水没したため。

一番手前の橋台跡は引き込み線の橋梁があったのでは。

 

橋梁下の道は地元の人の通路になってますが、

Aランクの心霊スポットとか。知らぬは無敵です。

現在の桜川橋梁。

 

これだけの大事故にもかかわらず、3日で復旧させたとか。

 

戦時物資輸送を担う幹線路線なので、

復旧は最優先事項だったからでしょう。

 

 

今ある慰霊碑は1986年に作ったものです。

しかし問題が。それはJRの敷地の中にあるので近づけません。

 

せめて写真だけでも、例よって「隙間撮り」で

 

 

 

「戦時中に大地震があった」とも聞いたことがあったので

それも含めて帰宅後、災害や事故を調べました。

 

そしたら結構な数が出てきました。

 

 

戦時中は、空襲など戦争関係だけでも、

有名無名含めすごい数に驚かされたましたので、

 

こうした国内の災害・事故は戦史の中に埋もれてしまったのでしょう。

 

 

(余談ですが、戦前の西武鉄道の前身2社の職員は仲が非常に

悪かったという話もきいたことありました。よく安全運行してたなと

思ってましたが、やはり黒歴史があって、それが合併の理由の一つだったと知りました)

 

 

<メンタル系中心の日記ブログもやってます>

 

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