やりたいことがわからない原因 | ゆるっとみゅー

ゆるっとみゅー

37歳3男子の母。
自己開示、自己理解をしないといけないくらい自分に何もないと思って焦ってたところ、自分でもやってみたいと思えることを見つけて、在宅でできる仕事に向かって、只今基盤づくり中です。

人に何が好き?何が得意?と聞かれてパッと答えられる人ってそんなに多くないのかなって思います。


私もこれってものがそんなにないんです。言ってしまえばどれも中途半端なんです。


ご飯やお菓子を作ったりすることを褒められたりすることはありますが、食べるのが好きだからコスパをよくしたくて作っているという感じ😆



他に子供のコスプレの服などを作ったりしている時、誕生日の飾り付けの紙工作、

先生に渡すアルバムの紙工作など完成形を思い浮かべながら、ワクワクしているときはとても楽しいです。

とくに子育てしていると、できた!終わったっという達成感を味わいにくいですよね。だから手短に感じれる達成感が心地いいんでしょうね。


話は変わりがますが

私の子供時代、親から愛されてたなという感覚はないし、幼稚園でも小中学校でも嫌われていたんでしょうか、ほとんどひとりぼっちでいた記憶があります。

小学生になって

公園に行って知らない子たちと鬼ごっこしたりする日もありましたが、1人で誰もいなくなった砂に絵を描いたり、サッカーボールでひたすらドリブルしていたり、セーラームーンのカードを数字順に並べて、次は色順に並べて、また数字順に‥みたいなことを永遠1人で部屋でしていたり、あまり誰かと遊んだり話したりした記憶ってないんです。


だからお友達ができた時もみんなたくさんしゃべってるけど、何を話したらいいのかわからなかったこともありました。

大して話したいこともなかったんですね。


幼稚園のときはバスで、後ろの席が上の学年の子だったのですが、工作の棒か何かで頭をポンポンされてすごく嫌だったので払いのけて余計にされるってことがありました。


そういうのが積み重なって自分が傷つかないように合わせるってことをかなりしてきました。工作の時間にトトロの作品を作ったらみんながすごーいってよってきてくれたり、理科のソーラーカーの組立ての時間には早く作ったらすごいっていわれる、みんなが一斉に物を取りに行く時には1番最後にして、そばにいるのを嫌がられないようにする。

そうやって自分がしたいからではなく、注目されたいとか、褒められたいから、傷つきたくないからって、外から受ける影響に目を向けて、自分の気持ちに蓋をしてきたんだなぁと思います。

(〇〇がほしいから、〇〇が喜ぶから、怖いからとかいう理由で物事をやるのは外発的動機づけっていうらしいです)

外発的動機づけで物事に取り組んできた人って多いんではないでしょうか?

そういうことがやりたいことがわからない原因になってるんじゃないかと推察しました。


大人になって、やってて楽しいと思ってやってたことはスノボー、ドリフトだったんですよね!ちょうどスノボーでグラトリをやり出して楽しくなり出したところで第一子の妊娠でした。

産後も少しはボードに行くことも、サーキットに行くこともできたのですが、コストがかなりかかるし、パッと行ってパッと帰るとかできないので、子持ちでしかも今専業主婦の私には程遠い趣味になってしまいました