前回の記事もドラマねただったので恐縮なのですが…



今回はつい先日最終回を迎えた「不適切にもほどがある!」について語ってみようと思います。



1986年、東京都内の中学校で「地獄のオガワ」として恐れられていた教師・小川市郎。

やって来たバスに乗り込み、到着したのはスカイツリーがそびえ立つ2024年の東京でありました。


バスの車内で煙草を吸って他の乗客から大顰蹙を買い、耳にイヤフォンを着けている女子高生に「耳からうどんがたれてるよ」と言って怖がられる市郎。

一方、市郎も見た事がない「ツルッとしたやつ(=スマホ)」を「それ何?」と訝しがり、ようやく辿り着いた行きつけの喫茶店に入るとマスターがおじいちゃんに!!


そこでようやく、自分が今いる世界が38年後である事を知るのでした…。


…というストーリーはご覧になった方々にはいまさらであると思います。

しかし、これから見ようと思っている方もいらっしゃると思うので、内容には出来るだけ触れずにやって行きましょう。


☆番組公式サイトはこちら!


物語の「昭和」の舞台である1986年には10歳だった私(吉田羊さん演じるサカエの少女時代と同じぐらいなのかな?)。

確かに周りの大人はみんな煙草を吸ってたし(いつでもどこでも)、テレビを点けると女性の肌が露わになっていたり、(特に)女性蔑視的な発言が目立ったり、「ヤンキー」がそこら中にいるという時代でした。


↑意外と紳士だった昭和のバラエティー番組の司会者さん(秋山竜次)。


そんな時代が良かったのか悪かったのかはわかりませんが、子供であった私たちに人権なんて無かったし(「子供のくせに」「子供は黙ってろ」と一喝される)、先生からの体罰なんて当たり前にありました(さすがに小学生の頃は叩いたり蹴ったりという事は稀でしたが、授業中廊下に立たされるなんて事は普通。今ではそれも体罰なんですよね?)。


しかし、この頃は大人も子供も同じものに夢中だった、ある意味「アツい」時代だったのです。


このドラマで大きな鍵となっていたのは「タイムトラベル」。

残念ながらドラマの現在とは違い、今はまだタイムマシンなんてものは発明されていません(どこかでされていたりして?)。

実際にタイムトラベルをしたいかどうかはさておき(私はしたくない)、過去と未来を行ったり来たりするのはやはり人類の夢なのでしょう。


2つの時代を行ったり来たりしていた市郎は元々持っていた昭和の価値観に加え、新たに2024年の価値観に触れる事になります。

「ツルッとしたやつ」も使いこなせるようになった市郎は、見事に令和にも適応していたのではないでしょうか(コンプライアンスでがんじがらめであろう現代のテレビ局でアドバイザーとして働けるぐらいですから)。


昭和が良いか令和が良いかというのは、ドラマ内でも当然結論は出ません。

ただ、最終話を観られた方には「なるべくこうあって欲しい」と言う制作者側からのメッセージが伝わったと思います。


話は変わりますが、このドラマでもクドカン作品特有の「小ネタ」があちこちに散りばめられており、いつにも増して豪華なゲストが次から次へと登場します。

「昭和」↔︎「令和」というタイムトラベルが題材となっているだけあり、「えっ!この人こんな風になっちゃうの!?」というサプライズが毎回のようにありました。


*例えば「喫茶すきゃんだる」のマスターは昭和では袴田吉彦さんだったのに、令和(38年後)ではおじいちゃんになってたりとか…。

他の登場人物はぜひドラマでご確認を!


最後に阿部サダヲさん演じる市郎の娘・純子役の河合優実さんについて。

ヤンキー娘役ではあれど、どこかピュアさを感じる純子役が超ハマっていた河合さんです。

ふとした時の話し方とか仕草が何とも言えず可愛くて、「あぁ、こんな感じの可愛いヤンキーの子がいたな」と思わず懐かしくなってしまうほどでした。


第一話で登場した彼女は思いっきり「昭和のヤンキー女」。

彼女の世代的に実物は見た事がないに違いありませんが、なかなかにハマっていたように思います。

しかし、途中まで見て気付いたのは…「やっぱり顔が小さい!」という事でした。


このドラマでは昭和の「顔が小さいアイドル代表・キョンキョン(小泉今日子)」が何かと登場しますが、あの時代にはアイドルと言えどあそこまで顔が小さい事は珍しく、だからこそキョンキョンが「すんごい顔が小さい」と言われていたわけなのです。


しかし、2020年生まれ(若!)の河合さんはキョンキョンレベルの顔の小ささであり、それが現在のスタンダードであるという事に思わず人間の進化を感じてしまいました。


↑何と資生堂のアンバサダーにも抜擢された河合優実さん。

今後ますます活躍される事間違いなし!


コメディータッチである事が多いクドカン作品に於いて、意外とよく触れられている題材が「死」。

この作品でもそれは例外ではありませんでした。

生と死は生きている以上、常にそこに存在するものです。

それが日常であり、普遍的である…というのは、タイムトラベルをしてどの時代に行ったとしても変わらない事でしょう。


そんな事を考えながら、全10話の視聴を完了したのでした。