2022年1月の福岡旅行について書いた滞在記などが一段落したので、ようやくその間お預けにしていた台湾に関する事について書かれた本(拙ブログでは「台湾本」と呼んでいます)を現在読んでいる最中です。


今回ご紹介するのはこちらの本です。


↑「台湾へもう一度行き度くて 夢に見る様である」と、文豪も我々台湾好きと同じことを考えてらっしゃったんですね〜。


以前も「100年前の台湾旅行」について書かれた本として佐藤春夫の「女誡扇綺譚」をご紹介しましたが、今回は1939年11月に内田百閒が豪華客船・郵船大和丸で台湾を訪れた時の事について書かれた「蓬莱島余談」です。




ただし台湾を滞在した時の事についてはそんなに書かれておらず、「台湾・客船紀行集」と書かれている様に、全体的な印象としては「船」についての話が多いです。

それもそのはずで、当時内田百閒は日本郵船の嘱託で文書顧問として働いており(この辺りの話は巻末にある川本三郎さんの「解説」が詳しいです。っていうか、そちらを先に読んでから読んだ方がわかりやすいかもしれません)、現在で言うところの社外取締役とかそんな感じなのかな…と思いながら読み進めました。


もちろん、当時すでに作家として著名だったので、郵船の豪華船に乗って方々を旅する事(そしてその事について書く事)は仕事の一部であったようです。



朝起きると部屋(客室)にフルーツとトーストをボーイさんに持って来てもらい、続いて本番の朝ごはん、そしてその後も幾度となく食事や軽食などが出てくるという豪華客船に食い意地の張った私が憧れないわけではないけれど、やはり長い時間を掛けて行くより、今のように飛行機でさっと行って台湾で楽しむ方が良いよなぁ、とせっかちな私は思うのです(食い意地とせっかちという二大短所の、せっかちが勝った!)。


話を台湾に戻すと、当時神戸の港から台湾の基隆までは4日間掛かったそう。

行き帰り往復8日間掛かるのに台湾に滞在したのは9日間、と書かれていたのを読んで少し驚きました。


しかし、その9日間は盛りだくさん!

基隆に着後は台北の宿屋で荷物を降ろし、北投温泉でのんびりしてから再び台北に戻り、台湾を台鐡(当時は「台湾総督府鉄道」)で南下したそうです。

元々製糖会社の友人に招かれた台湾旅行であったので、最終的な目的地は台南であったのでしょう。

*屏東では原住民族の酋長夫妻とその子供(男の子かと思っていたら女の子だったと言う…)に面会したり、台南では市街地や安平古堡などを訪れたりしたようです。


佐藤春夫の「女誡扇綺譚」が数ヶ月間台湾で過ごした事についての滞在記や小説だった事に反し、この「蓬莱島余談」は肩透かしを喰らうかのように台湾での滞在についてはそんなに書かれてはいません。

しかし、それでも台湾は強い印象を残したようで「もう一度台湾に行き度くて」「夢に見る様」だったそうな。


しかし、当時の客船の豪華さと言ったらありません。

すでに「戦争」が暗い影を落としていた時代だったので、ホテルのバーやお店などで「麦酒(ビール)」を出してもらえる量に制限があったりしたようですが(作中同じ時期を描いた「マー姉ちゃん」でもそんな感じの場面があった)、それでも新しい客船には「冷房」が付いていたり(!)、披露航海には錚々たるメンバーの文化人が集まり、船中で座談会を行ったりと驚きの贅沢さでした。


設備や便利さなどは現在と比べるまでもないのでしょうが、昔の方が「贅」というものが惜しげもなく凝らされていた様に思います。


考えてみるまでもなく、飛行機で3時間30分で台湾に到着する旅行より、4日間かけて台湾へ向かう道中を愉しむ旅(夜はデッキから星空を眺めたりして)の方が贅沢ですもんね…。


飛行機の上位クラスの便で台湾に行くから贅沢な旅って感じはしないんだよなぁ(あくまでも個人の意見です)。


*理由を挙げてみると、一度だけ台湾からの帰国便をアップグレードしてもらった事があるのですが、搭乗時間が短いので何をするにも(特に機内食)慌ただしかったから。