こんにちは!
久しぶりにこちらから発信してみようかなと思ったのでブログ書いちゃいます(何を書くかはまだわからないまま書き始める)
いろんな場所(SNS)を持っているのですが、全部をフォロー出来る人はいないようになっています。(鍵かけてたりのところがある)
というか、そうしています。
逃げ場、というのかな。
そんなのいらないのが1番だけど
色んなコミュニティに入って
それぞれのところで知り合っていく人たちがいて。
そのなかで、学びとなることがあるとしますよね。
その学びの最中、葛藤を吐き出すところを別に用意している、という感覚です。
いっちばんいいのは
①吐き出す前にじぶんで解決しちゃうこと
②リアルで会って聞いてもらうこと
なのだけど
①が毎回できないから苦しくなるのであって
そして②の部分が、わたしとしては苦手なんだなぁというのがあるようです。
学び=悩みや愚痴のようなこと、を『聞いてもらうために』誰かと約束する、ということが。
こんなこと聞かせるために会ってほしいなんて
言っちゃいけないんじゃないか
って思ってしまうのですね。
だから、誰にも会わずに出してしまう場所がわたしには必要なんです。
だから内観得意になったのかもしれない
あとは、やはり、母からひたすらに愚痴や誰かの悪口を聞かされていたのが嫌だったので、じぶんがそんなことをするなんて、じぶんが許せないってなるんですね。
あんな苦痛のために呼び出すとかありえない、ってなるんですね。
わたしの場合は対人での学びも多いので、話し方、聞き手によってはそのように聞こえてしまいがちで。
結局、そういうことも内側の投影でしかないのだけど、その最中はそこにすぐ行き着けないし、あらわになる感情だって感じることも大切だから、ひとり熱くなったりしてます。
だいぶ、俯瞰視点にいくのも早まりました。
内側の投影、というところからみる時
相手を悪者にしないのなら
自分のどこが悪かったのだろう
となってしまうクセもあることもわかりました。
悪者を決めることで解決する
という思い込みがあったんですね。
(書きながら理解していくという、わたしあるある)
このあたりも
・事実
・感情
を分けることで、悪者探しをすることが減ってきました(練習中)。
人それぞれ「真実」としていることが違うので、そこを混同しないことも大切ですね。
そのために
・事実
・感情
をわけてみてあげるのですね。
感情をみていると、なぜそう感じてしまうのか、というじぶんのクセが見えてきます。
それは「クセ」なだけで、変えることも可能性だし、じぶんにとってどうやっても大切なことだと思うなら、変えなくてもいい。
それを繰り返していく。
あらゆるところからやってくることが同じ「クセ」に行き着いてしまうのなら、その「クセ」の見直しなのかもしれません。
感情は無視せずにそれはしっかりと見てあげることもコツですね。
あなただけの大切な、きっと、味わいたい感情だったのだろうから。
そこに善悪はないんですね。
そう感じてしまったじぶんは否定せずに全肯定しましょう。
もし、本来不要なものだったら、そうしていくとでだんだんそういうことが小さくなっていきます。
否定すればするほど、大きく訴えてきちゃうから。
毎日、わたしも味わい中です。
お知らせ
◆セッション、アートレッスン 30分5,000円~(メモリーオイル料金別途2,000円~)
◆継続セッション お問い合わせください
◆メモリーオイルワークショップ 6/29 東村山市内にて 10時~15時まで
◆7/21~7/23 原宿 アートインギャラリーにて展示会