みなさん、こんにちは。

本日の「きっかわみきの物語」部分公開は、「続・金色(きん)の耳」のカシの木の章からです。

風変わりな姿に生まれついたゆえに、悩み苦しんでいる<花>が周囲の生き物に「なぜ生き物には、苦しみや悲しみがあるの?」と問い続けてゆくという、この物語。

本日は、そんな<花>と、カシの木さんとの対話の一節ですよ。




<花>はカシの木にたずねました。

「カシの木さん、あなたなら、きっとお分かりなのではないかしら。

実はいま私はあることで、とても悲しい思いをしているの。

それに、悲しんだり苦しんだりしているのは、私だけではない・・・。イチョウさんが苦しんでいる姿も見たわ・・・。

カシの木さん、なぜ私たち生き物には、悲しいことや苦しいことがあるのかしら?」


 するとカシの木は少し考えるように、緑の葉をさやさやと揺らしながら答えました。


「そうだね、僕も苦しくて我慢をしなければならない時期を迎えるたびに、同じことを何度も考えてきたよ。

それで、答えが出たかと言うと、答えなんて出ないのだけれどね。

でも・・・、それでも僕が一つ思うことは・・・」


「一つ思うことは・・・?」


<花>はまさしく全身が耳になっている姿で、カシの木の方へその耳をぐっと傾けて、言葉を待ちました。


「それはさあ、同じようなことで苦しむものが出てきた時に、

その生き物を支えるためじゃないかなあ。

つまり、助けるためさ。

この世界は共感し合えるものを用意しているのさ。

分かり合えるものを準備する。

この世界は、支え合えるようにできているのさ」


「支えるため、助けるため、

この世界は共感し合えるものを用意する・・・?」


この時<花>には、かつて自分と同じ体験をして辛い思いをしていたウマノオトシゴのことが、ふと思い起こされたのでした。



さて、みなさん、いかがだったでしょうか?

みなさんも、今、何か悩んだり、日々「どうしてなんだろう?」と模索しておられることはないでしょうか?


今は苦しいかも知れないけれど、このカシの木の言葉を借りるならば、きっといつかそのあなたの体験が他の人を勇気づけ、励ますような日がくる・・・・。

あなたの体験を他の人に分かち合うことで、他の人がはっと気付く。

あなたの言葉がその人にインスピレーションを与える。そして、その人が楽になる・・・・。

すべてのことがこの宇宙で重々無尽に支え合って、すべてのことを前進させるような・・・、そんなことがきっとあるのではないかと思います。


この物語では、登場するあらゆる生き物が

「生き物にはどうして悲しみや苦しみがあるのか」について、様々な角度から語っていますので、今後ともご愛読の程、よろしくお願いしますね!


それでは今日もどうぞ爽やかな一日をお過ごし下さいね☆







電子書籍「続・金色(きん)の耳」

→ http://www.miki-kikkawa.com/books/golden-ear-4.html


きっかわみきの物語

→ http://www.miki-kikkawa.com/books.html





 みなさん、こんにちは!

本日の「きっかわみきの物語」部分公開は

「金色(きん)の耳」の太陽の章からです。

では、早速・・・・


「自分が花であり、そしてそれと共に『貴(とうと)く偉大で不思議な何ものか』だなんて」

 

 この太陽の言葉に<花>はたいそう驚いたのでした。

 

 そして太陽は驚いている<花>の初々しい様子を見ると、とてもほほえましく思われて、さらに言いました。


「私のようにずっと遠い所から離れて見れば、きっと皆、同じことを感じるはずですわ。

それにあなたも、いつかはきっとこのことが分かるはず。

山には山を、海には海を、沼には沼を、木々には木々を、草にも、風にも・・・、

そこに生きるあらゆる生き物たちにも、それらを生かしてくれている『何ものか』がはたらいている、ということを。

だって、そうでしょう。

もし、その『貴(とうと)く偉大で不思議な何ものか』がはたらいていなければ、

どうして山は山であんなに威風堂々(いふうどうどう)としていられ、

海は海であんなに優雅に波打ちを繰り返すことができ、

沼は沼で深い神秘を漂わせながら多くの生き物をその懐(ふところ)に抱くことができ、

木々は木々であんなに清(すが)やかにじっと時の流れを見守りながら立っていられましょう。

あなたにもその『何ものか』がはたらいていなければ、

どうしてそんなに生き生きとしていられることでしょう。

それに・・・この私にも、その『何ものか』ははたらいてくれているのですよ。

私はこのことを知っていることで、どんなにか安心していられ、穏やかでいられることでしょう。

『何ものか』が私を支えてくれている、

守ってくれている、包んでくれている、

『何ものか』がいつも共にあり、私にはたらいてくれている。あなたも必ず近い将来には、

『すべてのいのちあるものは、偉大で貴い何ものかと共にあるもの』と言うことを、身にしみて感じられる時がやってきますわ」


 この会話が<花>と太陽の間で交わされている間中、

<花>も、その周りのものも、すべてが

太陽の光を浴びながら、きらきらと光輝いていたのでした。



 さて、みなさん、この「金色(きん)の耳」という物語は、

「私って何?」、そして「いのちって何?」ということを

テーマにしたお話です。

 不思議な姿で、この世に誕生した<つぼみ>が

やがて誰も見たことがないような<花>になるまでを

描いた物語なのですが、

不思議な姿ゆえ、<つぼみ>は、

「私って何?」と、周囲の様々な生き物に問いかけ続けてゆくのですね。

 周りの生き物からは、それはそれはいろいろな答えが返ってきます。

今日は、そんな中から、太陽と<つぼみ>との会話をみなさんに

お聞き頂きました。


『すべてのものは、偉大で貴い何ものかと共にあるもの』

『あらゆる生き物に、それらを生かしてくれている《何ものか》がはたらいている』


そう、あなたには、目には見えないけれど、

あなたを生かしてくれている

『何ものか』がはたらいてくれているのであり、

そしてあなたは同時に「貴く偉大で不思議な何ものか」なのです。


 どうぞ、みなさま、今日はご自身のことを

そのような存在なのだと意識して、一日をお過ごしになってみて

下さいね。


 ところで「私って、何?」のこの物語でしたが、

もしあなたが、「あなたって何?」と聞かれたら、

さあ、何とお答えになりますか?

 また引き続き「私って何?」の答えを模索しつつ

物語の部分公開を続けて参りますので、

今後ともよろしくお願いしますね!


 それでは、皆様、素敵な一日をお過ごし下さい☆






書籍「金色の耳」(単行本・電子書籍両方あり)

→ http://www.miki-kikkawa.com/books/book1.html


「続・金色の耳 ~なぜ悲しみや苦しみがあるの~」

→ http://www.miki-kikkawa.com/books/golden-ear-4.html







 みなさん、こんにちは!

さて、物語「続・金色(きん)の耳」ですが、

間もなく英語版に翻訳されたもの、

「The Golden Ear ~Why Do Sadness and Suffering Exist?~が

外国で出版開始になります。

(もちろん、日本でもアマゾン上で取り寄せ可能です)


 昨年の5月に、上巻の「金色(きん)の耳 ~私って何?~」が、英語版「The Golden Ear ~What am I?~」になって海外発売が開始になりましたが、

この度は、その続編の続いての出版ということです。

バベルプレスUSAからの出版になりますので、

皆さま、よろしくお願い申しあげます!


 ところで内容は、上巻の「私って何? いのちって何?」

に対して、この度は「なぜ生き物には悲しみや苦しみがあるの?」です。

 物語に登場する様々な生き物の口を通じて、

あらゆる角度からその問いに対する答えが語られている

物語です。

 日本語版をお読み頂いた上で、英語版をお読み頂くと

英語学習ができるということはもちろんですが、

日本語だけでは気付かなかったことを、別の言語で読んだ

ことで気付くということもあって面白いですよ。


 出版が開始になりましたら、また改めてお知らせしたいと思います。

 本日は出版開始予告でした!

 それでは今後ともご愛読のほど、よろしく!




きっかわみきの物語

⇒ http://www.miki-kikkawa.com/books/books.html

 



 みなさん、こんにちは!

本日の「きっかわみきの物語」部分公開は

「金色(きん)の耳」の山の章からです。

「私って何なのだろう?」と考え模索している<花>に

山はどのように答えるのでしょう。

 それでは・・・



 その頃、充分に背が伸びていた<花>は、

ある時、遠くに山並みを見ることができました。

沼の水鏡の外で、稲穂が黄金に光りながら

小刻みに揺れている、さらにその向こうに、

山は連なってどっしりと鎮座(ちんざ)していました。

<花>はその山並みを眺めると、

何だかとても頼もしい感じがしてきました。


「何と言う、堂々とした姿かしら・・・」


<花>はいつものように、この山にもたずねてみようと

思いました。


(あの山に、『私って何なのかしら』と聞いてみるわ。

だって山ときたら、あんなに悠々としていて、

そして堂々と落ち着き払っているのですもの。

黒々とした緑に覆(おお)われていて、

まるでこの地上の番人のようなのですもの。

それに、どんなに遠く離れていても、

語り合うことができるのですもの)


 <花>は、遠く山に向かって問いかけたのでした。


(ねえ山さん、あなたのようなどっしりとした方から

私をご覧になると、どうでしょう?

あなたは、私を何だと思われるかしら?)

 

 すると、山はその巨体をゆっさゆっさと揺らして、

おおらかに笑いながら言いました。


「どうやら、いのちあるものは皆、

自分が何ものであるかを、

探求せずにはおれないもののようですな。

いのちあるものは皆、本来、

自らが何であるかを学ばずにはおれないもの、

と言えばよろしいのか。わっはっは・・・」


 山は笑いながら続けました。


「そうですな。つまり、『あなた様は良くなろう、

良くなろうとしているもの』とでも言っておきましょうか。

いのちあるものは皆、意識しようがしまいが、

無限の向上をするようにできているものですからな。

すべてのものは良くなるように、良くなるようにと、

その内側に自動制御装置が内臓されているものですからな。

だからやっぱりあなた様のことは、

『良くなろう、良くなろうとしているお方』だと

申し上げねばなりますまい」


 山の返答を聞くと、<花>は改めて山の姿を

うっとりと眺めながら、思ったのでした。


「何て勇気付けられる言葉なのかしら。山の言葉って、

その姿形に似て、本当に大らかで頼もしいわ・・・」


 さて、みなさん、いかがだったでしょうか?

山の言葉、「あなた様は良くなろう、良くなろうとしているもの」、

「いのちあるものは皆、意識しようがしまいが、無限の向上をするようにできているもの」

「すべてのものは良くなるように、良くなるようにと、その内側に自動制御装置が内臓されているもの」

この言葉を、みなさんはどのように受け止められたでしょうか?

どのように感じられたでしょうか?

 私は物語のこのくだりで、

人の人生の中で起こってくることは、一見悪いことのように見えても、

最終的に全体が良くなるように、必ず良くなるようにと緻密に自動的に

計算されて起こっている、という考え方を表現しております。

 その時には分からなくても、長い時が経過してみると分かる。

人のDNAの中には、そのような見事な設計図が組み込まれていることを

山の言葉で表現しました。

 というわけで、まずはみなさん、

ご自身の中に、そのような想像以上の優れたセンサーと

設計図がすでに内蔵されている、

それらをもっているのだということを、

今日は意識してみて下さいね。

 今、あなたに起こっていることは、良いことのように見えても

悪いことのように見えても、どちらも必ず最終的にあなたを

最大限活かす道につながるようになっています。


 この山の言葉は、ツイッターなどで発信しても、

みなさんが非常に反応して下さる言葉で、

よくリツイートして下さいます。

 またこれ以外にも、「私とは何か?」に答える言葉が

たくさんこの物語には詰まっていますので、今後とも

ご愛読の程、お願いしますね。

 あなたにとって、「私とは何?」でしょうか?


それではまた・・・

今日も発見のある一日をお過ごし下さいね。






書籍「金色(きん)の耳」

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 みなさん、こんにちは!

本日の「きっかわみきの物語」部分公開は

「青い眼をもった木が見た夢」の第5章からです。

 青い眼をもった木が夜ごと夢の中で、

阿弥陀さまとお話を重ねるというこの物語ですが、

さて、今日は阿弥陀さまは

木にどんなお話をされるのでしょうか?

 それでは、阿弥陀さまのお言葉です。



 青いの木のお方よ、あなた方の間で起こった出来事で、私の身にまで波及して起こった出来事をお話ししておきましょう。

 それは私がはるか果ての仏国土より、あなた方の様子を見ていた時の出来事だったのです。

私の身の上にも、ほれぼれとするような出来事が数度ありました。

まず、白銀の象があなたの傍を通りかかり、あなたを一目見るなり「これはただならぬ御方」と見通し、「我ら生き物、仲間たちよ。青いをもたれた、待ちに待った御方が現れた」と宙に向かって高らかに宣言したことがありましたね。

あの時、白銀の象の言葉の波動で、見渡す限り辺り一面に細かい金の粉が降ったのでしたが、あの時同時に、私の身にもそれはそれは細かい細かい金の粉が降りしきったのです。

そしてまた一度は、あなたが見たこともないような色とりどりの果実をたわわに実らせていた時、生き物という生き物たちがあなたの周りに集まってきたことがありましたね。

あの時あなたはそのものたちに向かって、「いま・ここ・ただいま」に生きる話をされた。

すると、それがどのような大切な意味合いをもつのかを、生き物たちが納得した。憶えておいででしょう。

その後、生き物たちは「いま・ここ・ただいま」を合言葉にして、その言葉の大合唱のうちに、それぞれの持ち場へと帰っていったのです。

その時宇宙は今までにない満ち満ちて極まりない輝きを見せたのでしたが、まさにその時同時に、私の周りは見渡す限り、光でできた様々な形の果実という果実がきらきらと宙を舞ったのでした。

さらにその時と言えば、どうでしょう。

はるかかなた下界においても、蝶のことをパクっと食べたあの時計草でさえ、その距離の()(へだ)たりに関係なく、それに反応してきらきらと光ったのでした。

 これらはみな、いのちの世界は響き合っているのだということを物語る出来事だったのです。

それは私自身である光が、あなた方の光と出逢って共鳴した出来事でしたし、あるいはまた私の功徳があなた方の功徳を見て共鳴した出来事でもありました。

つまりこのことは、あなた方俗世と阿弥陀の世界・仏の世界は、「同時」であるという何よりの証左でした。

あなた方の世界に起きていることは、同時に私阿弥陀の仏の世界に起きていること。私阿弥陀の仏の世界に起きていることは、同時にあなた方の内に起きている。

 それは心を澄まして見れば、おのずから見えてくることなのです。

 青いの木のあなたが白銀の象と出逢った時、言葉を超えてお互いがお互いを即座に理解し通じ合ったように、またあなたが透明の姿になって菩薩の猿を訪れ、猿とものの見事に無言のうちにその境地を分かち合ったように、本来はすべてが瞬時に通じ合う世界なのです。

あなた方の世界ではそのことを感応同交(かんのうどうこう)という言葉で表現するようですが、仏の世界からすれば、それがどう表現されようが関係は無い。ただその時には互いの距離が無くなるのです。たとえそれが何十万億という隔たりであろうが、それはその時即座に消えて、同時同体になるのです。いのちの世界は響き合いの世界。その響き合おうとする片側の私は、いつもあなた方に近づいてやまないのです。いつでもどこでも通じ合えるよう、響き合えるよう、常に私はあなた方のために万端の準備を整えて待ち続けている者でもあるのです。どうかこのことも、あなたの周囲の宇宙中のあらゆる生き物たちに忘れずお伝え下さい。


 さて、みなさん、本日の阿弥陀さまの言葉は

いかがだったでしょうか?

 いのちの世界は響き合っている。

私たちの世界に起きていることは、

同時に阿弥陀の仏の世界に起きていること。

阿弥陀の仏の世界に起きていることは、

同時に私たちの内に起きている。

本来はすべてが瞬時に通じ合う世界。




今日は、是非みなさま、この響き合いという


感触を味わいながら一日、お過ごし下さいね。




それではまた。



書籍「青い眼をもった木が見た夢」


  


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