本当にただ何気なく、モノや人を見ているときももちろんあるんですが、モノや人の見方には3種類あるような気がしています。
●ただ見ている(眺めている)目
ただ眺めているときは、記憶に残っていないことの方が多いです。正しくは潜在意識に残ってるいんだろうけど、自分で意識していないので流れていってしまっています。
(でも私は、そんな時間も大切)
●心の目
モノや人を心の目で見るときは、相手のことを知ろう、探ろうとするとき。知りたいという純粋な好奇心もあれば、何かしら(仕事や恋愛etc…)で相手の出方を見るときの見方もあるはず。
ここは自分の心次第なので、心が曇っていたり、色眼鏡で見ると本質を見抜けないなんてことも起こります。
恋愛だと「あばたもえくぼ」、仕事関係だと肩書きに騙される、なんてこともありますね。
●命の目
私は「直感」と表現しています。ここは伝わりにくいかもしれませんが、「何だかあたたかい」「何だか嫌だ」「何だか気持ち良い」「何だか気持ち悪い」……そんな感じ方は命から直接、脳に対して「YES」や「NO」を送っている気がするのです。
どんな「目」も大切ですが、自分が今、どの目で見ているかを知ることができれば、少しモノや人の見方が広がる気がしませんか?
●ただ見ている(眺めている)目
ただ眺めているときは、記憶に残っていないことの方が多いです。正しくは潜在意識に残ってるいんだろうけど、自分で意識していないので流れていってしまっています。
(でも私は、そんな時間も大切)
●心の目
モノや人を心の目で見るときは、相手のことを知ろう、探ろうとするとき。知りたいという純粋な好奇心もあれば、何かしら(仕事や恋愛etc…)で相手の出方を見るときの見方もあるはず。
ここは自分の心次第なので、心が曇っていたり、色眼鏡で見ると本質を見抜けないなんてことも起こります。
恋愛だと「あばたもえくぼ」、仕事関係だと肩書きに騙される、なんてこともありますね。
●命の目
私は「直感」と表現しています。ここは伝わりにくいかもしれませんが、「何だかあたたかい」「何だか嫌だ」「何だか気持ち良い」「何だか気持ち悪い」……そんな感じ方は命から直接、脳に対して「YES」や「NO」を送っている気がするのです。
どんな「目」も大切ですが、自分が今、どの目で見ているかを知ることができれば、少しモノや人の見方が広がる気がしませんか?
↓ 応援クリック、よろしくお願いします