Vol.87 『トイプードルのかがみちゃん』 | 猫又小判日記

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石井綾乃が綴るブログエッセイ。精力的に短歌を詠む。第一歌集「風招ぎ」、次いで第二歌集「猛禽譚」を上梓した。また「文学さろん 美し言の葉」を主宰。筋金入りの猫好きである。最近はプール通いで健康維持を図る。そんなつれづれを、日々思うままに書いていきたい。

Vol.87 『トイプードルのかがみちゃん』

もうすぐ夏も終わりですね。

夏の終わりは、なぜ寂しい思いがするのでしょうか。

 

若い人は、(若くなくても)、

プールにバーベキュー、花火、キャンプ、釣り、

などなど、イベントを思い切り楽しんだことでしょう。

その思い出がまなうらに鮮やかなまま、

ツクツクボウシの声や、秋の虫の声が聞こえてきて、

気温もだんだん下がって来ると、

楽しかった夏が行ってしまう。と、

寂しく思うのではないでしょうか?

 

トイプードルのかがみちゃんも、

人間ではありませんが、夏の終わりを寂しく思うのです。

トイプードルなどの小型犬は、

足が短いので、熱をもったアスファルトとの距離が近く、

一般的に夏に弱いとされています。

 

しかし、かがみちゃんは、夏が大好きでした。

なぜなら、オーストリアに音楽留学しているお姉さんが、

夏の間だけ、夏休みで帰国するからです。

かがみちゃんは、お姉さんに朝晩、お散歩に連れて行ってもらいます。

 

お母さんだと、気短に、ゆっくりお散歩を楽しみたいかがみちゃんを、

無理に引っ張ったりして、あまりのんびりできません。

でも、お姉さんは、かがみちゃんのペースに合わせて、

かがみちゃんの気の向くまま、お散歩させてくれるのです。

 

お姉さんは、かがみちゃんにだけ、

さまざまな秘密を打ち明けます。

なんといっても、犬は人間の言葉が分かりますからね。

 

お姉さんの、今の最大の問題は、

オーストリアに好きな人が出来たことです。

お姉さんと同じく、バイオリンを弾く、その人は、

やはりオーストリアの人で、お姉さんのことをとても大事にしてくれます。

「結婚しよう」

帰国直前、そう打ち明けられたお姉さんは、

「家族に話すから、戻ってくるまでお返事を待ってください」

と言いました。

 

さて、帰国したものの、お母さんも、お父さんも、

外国人が嫌いです。

そんな両親に、

「国際結婚させてください」

などと言ったら、お姉さんは勘当されてしまうかもしれません。

 

「どうしたらいい?かがみ」

お散歩をしながら、お姉さんはかがみちゃんに尋ねます。

かがみちゃんは、なにもかも分かった風で、

お姉さんのひざに前脚をかけ、

「きゅうん」

と鳴きます。

 

夏もそろそろ終わろうという頃、

お姉さんは渡欧が近づき、いよいよ両親に、

話をしなければならない、と心を決めました。

 

ある夕方。お姉さんはかがみちゃんを膝にのせながら、

両親に、ことの次第を打ち明けました。

すると、お父さんは立ち上がって怒鳴りました。

「我が家に外国人の家族を迎えることは出来ん!」

お母さんも、

「お父さんに賛成よ。ましてやお前がオーストリアに嫁に行くなら、

もう、このうちの敷居は跨がせないわ」

と、怒ります。

 

お姉さんは、ぽとり、ぽとりと涙をこぼしました。

かがみちゃんは、お姉さんを見上げて、

「きゅううん、きゅううん」と、鳴いて慰めます。

 

お姉さんは黙って席を立つと、二階の自分の部屋に行き、

バイオリンを弾きました。

悲しい、悲しい音色です。

 

二階に上がってきたかがみちゃんを見て、

お姉さんは異変に気付きました。

かがみちゃんはなんだか苦しそうです。

お姉さんは、

「お父さん、お母さん、かがみが変よ。

すぐ動物病院に連れていって!」

と叫びました。

 

お父さんはすぐに車を出し、動物病院へ向かいました。

獣医さんはすぐにかがみちゃんを診て下さいましたが、

かがみちゃんは、みるみる息が荒くなり、

「くん」

と言ったきり、呼吸をしなくなりました。

獣医さんは心臓マッサージをしてくれましたが、

かがみちゃんが、あの可愛い声を聞かせてくれることは、

もう無いのでした。

死因は、「心不全」でした。

 

かがみちゃんの亡骸を抱えたお姉さんは、

お父さんの車の中で、わんわん泣きました。

お母さんはポツリと言いました。

「なんだか体を張って、お前の結婚話の後押しをしたみたいだね」

お父さんも寂しそうに言いました。

「かがみはおまえに一番なついていたからなあ」

 

お父さんはしばらくの沈黙ののち、

車を止めて、振り向いてお姉さんの顔を見ながら、

呟くように言いました。

「今度、オーストリアに行ったら、

その彼氏をうちに連れて帰ってこい。

まず、話がしたい」

「ほんと?お父さん」

お姉さんは顔が明るくなりました。

そして、かがみちゃんをぎゅううっと抱きしめると、

「ありがとう、かがみちゃん」

と、そっと声をかけました。

 

かがみちゃんが逝ってしまって、

もっともっと寂しい夏の終わりになりました。

でも、寂しいばかりでない、

お姉さんにとって、希望の夏の終わりにもなったのです。

 

お姉さん、お父さん、お母さん、

三人で、家の中にかがみちゃんの祭壇をこしらえました。

写真に写ったかがみちゃんは笑っているようです。

みんな、それぞれの想いで、手を合わせました。