Vol.86 『典子さんのしゅうとめ苦労』
典子さんは昭和一桁うまれです。
昔の若い女性はみなそうだったように、
典子さんも花嫁修業というものをしました。
お茶、お花、洋裁、和裁、
会社勤めだった典子さんは、
会社が終わるとペコペコのお腹で、
花嫁修業の教室に通ったものです。
そして、晴れて寿退社した典子さんは、
いよいよ家庭に入りました。
婚家には、とらさんという、明治生まれのきびしいお姑さんがいました。
とらさんは決して意地悪ではないのですが、
すこし冷たい人でした。
ある日、典子さんがテーブルの上で洗濯物を畳んでいました。
きれいだからいいだろうと、
じぶんのパンツまでテーブルで畳んでいた典子さんに、
ずっと我慢していたとらさんが、とうとう言いました。
たった一言、「典子さん」と。
しかし典子さんは気づきません。
とらさんは少し声を強め、「典子さん」ともう一度。
三度目にとらさんが声をかけようとしたとき、
典子さんははっと自分の間違いに気づきました。
「すみませんっ!」
と言って、テーブルのパンツを下ろしました。
また、とらさんは、典子さんが実家に近づくのを嫌いました。
実家のお母さんが具合が悪くなったとき、
とらさんに、「ちょっと行ってきていいですか?」
と、恐る恐る聞いたところ、
とらさんはしばらく考え、
「なんで?」
と言いました。
典子さんは絶句しました。
じぶんの母親が病気なのに、行ってはいけないのか。
そう思い、悲しくてたまりませんでした。
やがてとらさんは年を取り、寝たきりになりました。
お世話はもちろん典子さんの仕事です。
下の世話も毎日の日課です。
とらさんは長患いしました。
ある日、とらさんは、
「もう少し面倒見てくださいな」
と、典子さんに言いましたが、
「いつまでですか!」
と聞きたいのを、典子さんはぐっと堪えて、下の世話を続けました。
本当に昔のお嫁さんは、お姑さんのことで苦労したようですね。
そんなとらさんも、とうとう寿命が尽きて、亡くなりました。
お葬式が営まれましたが、
会社経営者だった典子さんの夫は、
会社の手前もあり、派手なお葬式にしました。
読経が終わると、斎場の外に囲われていた鳩が放され、
いっせいに青空の向こうに翔んでいきました。
でも、とらさんは付き合いもほとんどなく、
参列者の数は、さびしいもので、なんだかチグハグでした。
とらさんがいなくなったのを喜ぶわけではないのですが、
典子さんの頭の上に、重しのようにのっていたとらさんの存在が、
いまや消えて、正直ほっとした典子さんです。
そんな典子さんも、とらさんぐらいに年を取りました。
病気と闘い、自分の時間は病気に関することで精一杯です。
でも、よたよたしながらも、トイレは自分で通い、洗濯もします。
料理こそしなくなり、娘たちにコンビニやスーパーの総菜を、
買って来てもらって食事をするようになりましたが、
好奇心はまだまだ旺盛で、
テレビにでていたあの商品が欲しい、とか、
テレビの内容を娘たちとの共通の話題にしたりして、
ささやかな娯楽を得ています。
また、通院も、娘や息子に付き添いを頼みますが、
タクシーで行き、自力で杖を突いて、
病院内を歩き、受診します。
お姑さんに苦労したのだから、
せめて、いまは出来る限り快適に過ごしてほしい、
それが子どもたちの願いなのです。