(追記)中子というカテゴリー。性同一障害の方々にも大会を作れないでしょうか | 凶暴なお魚と戦う極真カラテ みけねこ日記

凶暴なお魚と戦う極真カラテ みけねこ日記

世界を拳で繋ぐ格闘家ママ・山本ゆきの釣り・空手・育児日記。世界大会第3位、全日本優勝5回、全アジア大会軽量級優勝、オールアメリカン無差別級優勝。現在は治療院と愛知北FMにて木曜日スマイルチャージのナビゲーターをしております。

リオ五輪も終わり、テレビも明日から平常運転なんでしょうね(笑)
実はこの1年近く悩んで考えて来たことがあります。
それは性同一障害の方々にどうやったらキチンとした活躍の場を用意する事が出来るか、て事でした。
私の周りでも何人かいらっしゃいますし、実際空手をされてる方も世の中にはおられます。
現時点で性同一障害の方々が、治療としてお薬を処方されながら試合に出る事は、規則上難しいです。
そうでない私達であっても、世界大会となるとドーピング検査があり、風邪薬1つメーカーによって飲めませんし、前回の世界大会でもみけマンマなんて手がバッキバキに折れていても治療より先にドーピング検査でした。

男子、女子というカテゴリーにおさまれない彼らは常に悩んでいると思うんですよね。
バトミントンだとか、接触プレイのない競技ならともかく、フルコンタクト空手なんかは肉体と肉体が直にぶつかり合う競技ですから、骨量、筋量、血中ヘモグロビン量、アンドロゲンなど、多分どうしても簡単に同一線上に並ばせるには厳しいものがあります。

男子、女子、中子、でカテゴリーを作れないかなぁ、と。

出来れば、オリンピックも出させてあげたい。

性同一障害と医師から診断され、指定された治療と指定されたお薬を処方されていれば、中子というカテゴリーで出場出来る。

五輪は、パラリンピックでどうでしょうか?

障害を乗り越え、悩み苦しみながら生きている彼らが、正々堂々とカミングアウトし、人々から賞賛を受け、輝かしい舞台に立つ。

キチンとしたガイドラインを設け、カテゴリーとして確立する事で、問題は解決しないだろうか。


ずっと悩んでいるのですが、今回の五輪を見て、やはり、性同一障害の方々にも、その障害を乗り越え、強く生きていくモチベーションを持ってもらえたらな、と。空手がオリンピック競技になるのなら、彼らもオリンピックを目指して欲しい。

{7F444CEC-AB36-4952-944E-1D915C938C94}

 私自身は、常に女に生まれて来たことを後悔して来ました。
伊調選手じゃないですが、男だったら、もっと空手も楽しかったんじゃないかといつも思って来ました。
空手人生の8割は女として生きて来た事を後悔し、辛い事ばかりでした。

ただ、性同一障害ではなく、単純に社会的に辛かっただけで、運良く日本に生まれたから良かったものの、これがインドだったらとか、色々考えればまだ全然恵まれていたわけです。

でも性同一障害の方々はそうじゃないですからね。
男だったらなー、女だったらなー、なんてレベルの悩みじゃないはずです。

性同一障害というのは、たぶん、終わりがない戦いだと思うんですよね。
どんだけ治療しても、どんだけ体をいじったとしても、きっと完治もなく、一生悩む問題だと思うんです。
そして、競技もそれを現時点で受け入れる素地がない。

何とかしてあげたいと思います。

キチンとしたガイドラインを設け、カテゴリーを作り、認められる大会を作ってあげたいというのが、私の思うところです。

ちなみに中子ってのは、私が好きな漫画「シドニアの騎士」で、男子でもなく、女子でもない人種が出てきて、彼らを中子と呼んでたので。漫画では後から男になるか女になるか選べるんですけどね。

性同一障害の方々はどうお考えになってるのか気になるところですが、いつか、そんな大会が開けたらな、て思っています。

押忍
〈追記〉
もちろんIOCも現在ガイドラインを策定中らしいのですが。
1番悩ましい所は、規程で認めたとして、人々が本当に納得出来るのかどうか。
大事なのは人の気持ちなんですよね。
ネットであれこれ調べても、人々の感情が納得出来てないんですよ。平等平等と言いながらも。
もし、例えば。
例えばですよ。
卓球団体であったとして。金メダルを取った国の選手が全員が元男性であったとしたら。
金メダルを全部総ナメした女子選手らが全員もと男性であったとしたら。
性同一障害で彼らが苦労してたと知ってても、我々は本当に口から文句は出ないのか?

だってさ

て、言葉を口にする人が出てきちゃうんではないかと。
それは勝った側もそうでない側も、結局は辛い事になるんじゃないかと。
無理やり同じに当てはめる事が本当にいいのか。
なかなか難しい問題なんですけどね。
(更に追記)
男性が女性に、の逆もある事を忘れてはいけません。
女性が男性になりたい場合、多分テストステロンなどを打つ事になるかと、思います。
それをどこまで認めるのか、例え男性になれたとして、男子の試合に出るとなるとどうなのか。
実際に戦う側の感情とか、どうなのか。
規定だけ作ってしまえば、後はどうあろうと知ったこっちゃない。
だって、作ってやったんだから。

それでいいのか?

彼らが本当に皆んなから、心の底から障害を乗り越える事を応援しててもらえる環境作りが大切なんじゃないのかと。
みんなが手を握って、声を枯らして彼らの身に不幸にも降りかかった障害を越える事に声援を送る。
それが大事なんじゃないの。

て。

思っちゃうんですよね。

今のままでは、遺恨と対立を生むような気がして、結局誰が幸せになるのか、て悩んじゃいます。