この正月から世間を賑わせてる話題の1つ、ベッキーとゲス極の騒動。まあ、他人のプライベートを蹂躙しまくるのがお仕事のワイドショーには全然興味無いのですが、この騒動までゲスの極み乙女というバンドを知らなかったので、とりあえずベッキーが心酔したこのバンドがどんなのかyoutubeで見てみました。
へー。
と思いながら聞いていて、ほう、と思った歌詞が。
" 私以外私じゃないの 当たり前だけどね
だから報われない気持ちも整理して
生きていたいの
普通でしょう? "
だから報われない気持ちも整理して
生きていたいの
普通でしょう? "
私以外私じゃないの。そう言いながら、当たり前だけどね、普通でしょうと言い換える。
当たり前なのに、でも、口にしてしまう。
私以外私じゃないなんて、到底当たり前の事なのに、自分探しとかしてしまう。
全くの個人的な推測ですが、混血のベッキーにとって、私が私である、と言う問いは、そうでない私達よりもずっと重い命題だったのかもしれません。
まあ、それと今回の騒動は関係無いんでしょうが、とにかく、私以外私じゃない、と言うこの問いに、みけマンマも馳せる思いが湧いてきたわけです。
facebookをやられている方は、ここ数日、みけマンマさんのウォールが朝日遺跡一色になっていると感じていらっしゃるかと思います(笑)
最初知り合いに紹介されてビックリしたんです。愛知県にこんな凄い世界的な遺跡があるのに全然愛知県民が知らないってどうよ、て。あいち朝日遺跡
(清須市・名古屋市西区にまたがる全国的にも最大規模の弥生時代の遺跡。出土品のうち2,028点は国の重要文化財で全国No.1。)
吉野ヶ里遺跡に匹敵する最大規模の弥生時代の遺跡、しかも凄いたくさんの出土品。
もっと多くの人に知ってもらいたい。
みけマンマがそう強く願うのには理由があります。
人口は4000人もいないのでは?
長野と静岡との県境。
その昔はきっと海なんて一度も見る事無く、その生を全うされた人も多かったのではないかと思われるこの山奥の山村には、120 遺跡が存在していて、各時代別の累計遺跡数では、縄文時代 53、弥生時代 26、古墳時代 14、古代 31、中世 91、近世 13 の遺跡が残っているんです。
でも、今やそれを調査してる人がいるのかどうかも分かりません。
名前を大森古墳と言います。
2つの円墳から出来ているらしいですが、石棺は今でも地中に残っています。
当時うっそうとした森になっていて日の当たらない地面は土がむき出し。靴で古墳周りをドンドンと足踏みして回ると、石棺の所だけ空洞音がし、石棺を探し当てる事が出来ました。
墓自体は盗掘されて何も残って無いと聞いてましたが、2000年前の空洞がそのまま残って、この足の下に石棺があるのだと思うだけで興奮せずにはいられませんでした。
また東栄町は鉱物や化石が沢山採れまして。
みけマンマの父親は理科の教員で、昔はみけマンマ兄弟を連れて近くの山に化石発掘に連れて行ってくれたりしました。
東栄町は化石がかなり発掘される場所らしく、発掘した石を兄貴らと叩いて観察すると、二枚貝やウミユリなんかを見つける事が出来ました。
街の博物館にも展示されてるんですが、山道に水晶が出ていたりもしてました。
多分、父親のお気に入りの道だったんだと思います。
父親と山歩きしてる時に父親が、足元見てごらん、と言ってきました。
今となってはどこかも分からなくなってしまいましたが、父親が指し示した自分の足元を見てみたら、まるで霜柱のように土から水晶が覗いていました。
何万年、何千年も時を刻んで来た物たち。
町の過疎化と共に、多分すべてがいつか忘れ去られて行く。
そこにあった歴史が閉じられていく。
30年ぶりに娘を連れて石棺探しをしたら、やっぱり30年経っても、石棺はそこにありました。
しかし。
確実に言える事は、この古墳も朝日遺跡も、そこに存在した私と同じ人間がいて、果てし無く繰り返されてきた生殖繁殖活動の先端に、この私がいるのです。
私以外の私が、私以外私じゃない、という私を作っている。
私以外の世界が、この私を作っている。
人は1人で自分のアイデンティティを作れるほど強くはありません。
むしろ、他者に触れ、多くの世界に触れて自己はより世界との心地よい距離を保って私を作るんだと思います。
私以外私じゃない。狭い世界になればなるほど、他者を受け入れず、互いの争いは熾烈になるのでしょう。小学生の自殺など、お互いの世界の狭さが仇になったのかもしれません。
歴史に触れ、何千年もの過去の世界を知った時、私たちは初めて脈絡と続く歴史の一員として生きている事を認識し、また共に生きる仲間が今この瞬間、偶然を共にしているのだという奇跡に気づくのです。
よく、色んな人に
なんで古武道なんてやってんの?
なんで空手なんてやってんの?
て聞かれます。
もっと派手できらびやかな習い事はいくらでもあるのに、骨折したり青アザ作って何が楽しいの?
いつかは私も灰になり、私という人間も、周りの親しい人たちもこの世界からいなくなる。
そんな思いは2000年前の人たちも同じように感じていたのかもしれません。
古武道を遺して来た先人も、きっと同じように思ったでしょう。
そういった人たちが残していったものを大切にする事は、自分達自身の生き方を丁寧なものにし、次の世代へ真綿に包んで大切にしていたものを渡せるように思うんです。
だから、朝日遺跡も知ってもらいたいと思ったんです。
人知れず、忘れ去られていく大森古墳などの生まれ故郷の遺跡達の事を思うと、みけマンマは居ても立っても居られなかったんです。
どんな思いで彼らはこの土地の未来を思い描いたんでしょうか?
私以外の私が作る私。
私達は時空を超えた世界のピースから出来ている。
そう思って、また1日1日、頑張って生きて行きます。
押忍