父の最期…別れ……GW帰省 | 相葉くんが ♡大~好き♡心の糧です*(^ー^)*~家族ゴトも綴ります~

私ゴト…父のことを書きます

少しずつ、気持ちを整理しながら
書き進めていったので、
毎度のことながら、今回も長いです…


♡玄関先のドウダンツツジ♡
毎年、可愛らしい白い花がいっぱい咲きます


来年からは、
この花が咲くと、父のことを思い出すかも…なぁ





 

コロナ禍になって、ずっと帰るのを控えていました…

その間に、

父が歩けなくなって、施設に入る事になり…

その施設で、歩行練習も頑張ったので

    トイレまで行けるようになって、

自宅に戻れるようになり…

しばらくは、自宅で、生活できていたけど、

そのうち、だんだんと

体がきつくなってきて、

家での生活が、きついので、

 施設か病院に行きたい…

 糖尿で体調の悪い弟に面倒かけられん…

と言い出した父


病院で検査をしてもらったら、

肺が○…が見つかる

 (以前からレントゲンで影があったらしい)

肝転○…もあるとのことで

そのまま 入院するようになる…

       ←去年の11月のこと


そのうち、酸素吸入をするようになり…

家に帰るのは無理な状態になってしまい…

次の転院先をさがし始めていたところ…


コロナ禍なので、同居の家族さえも、

面会は できない状態のまま…だった…

  (弟も、最後に会ったのは、12月、

  ガラス越しに、車椅子に座る父に…)



🏥

父の容態が いよいよ悪くなってきたので…と、

病院から、

 弟や母に、会いにくるように…、

 腹水を抜く薬を使う…承諾のサインを…と、

連絡があったのは、4/8午前中…


弟と母が会いに行った時には、

もう、血圧が下がり始めていて

父は 意識もない状態になっていた…と。



4/8

私は朝からの仕事〜14時すぎに終わり、

携帯をみて

弟からの、病院に行く…という連絡に気づく…


すぐに帰らなければ!と思いながらも

何から手を付けていいのか…

   ←動揺とは、こういうことだ…と思ったよ


(その日は夕方、娘の大学の奨学金の説明会に

 二人で出席する予定だった)

説明会には、娘一人で行ってもらう事にして、


アタフタ帰る準備をしている途中…

弟から、

15:11に父が亡くなったよ、と連絡がきたの。



そうだよね…

血圧も下がってきてたら……そうだよね…

ある程度、予測はしていたけども、

  力が抜けた…

  あー… そうかぁ…



それからは、

悲しみにひたっているばかりでは いられない

帰る準備も…、だけど、

仕事中のダンナや、

友人と遊びに出かけてる次男や、

県外に住む長男・長女へ連絡したり…


茨城の姉にも、連絡入れたり…

↑仕事中、携帯見ないだろうから、

 自宅に留守電入れたら、

 義兄に伝わるかなぁ…とか…

そして、

自分の職場へ連絡したり…


そんなこんなしてると、

ダンナや次男が帰ってきて…

名古屋にいる長女も、夜には帰ってくるとの連絡、


私ひとり、先に新幹線で帰るつもりだったけど、

結局、みんなと一緒に、車で帰ることにして、

みんなの喪服の準備やら、

猫のご飯やトイレの準備やら…



新幹線で帰ってくる娘が着くのは、夜になるので

その後、高速で鹿児島に帰っても、

      夜中にしか着かない…

それなら、

早朝に出発する方がいいと、ダンナが言いだし…

そうする事に決まる…


(早く、父のもとに行きたかった私は、

 やっぱり、先に、新幹線で帰ればよかった!

         ちょっと後悔 =_=)




4/9 早朝

私、ダンナ、長女、次男、次女、猫とで、

車で帰る…約4時間弱

(長男は名古屋から直接、✈で帰るとのこと。)


9日通夜、10日告別式の日程がきまる


直接、葬祭場に向かって

      安置されてる父に会う


おだやかな顔をした父は、もう動かない…

お口が少し開いたまま…で

ちょっと痩せたかなぁ…

でも、きれいなお顔をしてる

  よくがんばったね、お父さん!

  顔や頭や、肩〜胸元…

  たくさん、たくさん さすってあげたよ 

  そして、こめんね…と。

  



ずっと、会ってないままに…と思うと

いろんな想いが残るよ


入院して、酸素して、家族に会えない日々…

最後の方の父は、どんな思いだったのだろうか…

頭は、しっかりしていたのかなぁ…



もう何十年も前から、口癖のように、

 「もう、しんどいわ

  早く迎えにきてほしいわ」と、笑いながら

冗談のように言っていた父です。

電話で話しても、必ず言う一言でした…(^^)


92歳で、家族と離れての入院 約5ヶ月…

コロナ禍で、面会も制限され、たった一人…


看護・介助してくれる方達との間で

父は、どんなだったのかなぁ…

どんな会話をしていたのかなぁ…

  そんな事を想うと、胸があつくなる…

  さびしかっただろうなぁ… きっと





🐶

父は、動物が好きで、これまでに犬、猫、カナリア、メジロ、インコ、ニワトリ、キンケイ…などなど…

その時々で、いろんな動物を育ててきました


老後は、パグを育てるのに力を入れていて、

産まれたパグの赤ちゃんを何匹も、お世話して

ペットショップへ持っていったりも、してました。

その収入で、家の修繕費に当てたり、小遣いにしたりしてましたが、

赤ちゃんが産まれる時の苦労に比べると…です。


生後すぐは、付きっきりで見守り…

ミルクを飲ませたり、体重を測ったり…大変だけど

可愛くて仕方なくて、生きがいのようでした。


朝晩、公園に散歩に連れていき、

他のワンちゃん達にも、オヤツをあげたり…

たくさんの犬友達もいました


父も腰が曲がり、散歩が大変になった頃、 

飼っていたパグも高齢になり…その最後を看取り…

しばらく何も飼わずにいたけど、

さびしさに耐えきれずに、保護猫を2匹引き取り、

晩年は、猫と過ごす毎日。

晩酌のお刺身の大半は、猫にあげてました(^^)


パグを飼う前は、

🐠ディスカスをはじめ、熱帯魚を多数飼っていて

細かな水温の管理や、水換え…

腰を曲げながら、

バケツとホースを持ってウロウロ…

いろんな情報を取り入れながら

大小、たくさんの水槽やグッズを買い揃えてた…


🌼花や植物も大好きで

私達の幼い頃から、サツキやツツジ、キク…など

庭に鉢植えをたくさん並べていて…

   休みのほとんどは、庭いじり…

鉢を並べる用の、棚もDIYで手作りしていた

家の前を通る人に、育て方を聞かれたり、

鉢植えを分けてあげたりしてた…


📸カメラ、一眼レフ?かなんか…に

      凝ってる時期もあったよ



真面目で、何にでも一生懸命、

そして、優しくて愛情深い人

お酒が大好きで、毎日欠かさず晩酌する🍶

飲みすぎて大騒ぎした事は多々…


お酒にまつわる、嫌な思い出は、

    幼い頃の私にも、たくさん、あるよ

夜遅くに、母と、お酒を買いに行ったり…

酔っ払って、母にグチグチ言ってるのを、

布団の中で縮こまりながら、聞いていて、

 父が早く寝てしまうように〜と願っていたり…

酔っ払って伯父さんと大喧嘩する姿とか…


いい事も、悪い事も、たくさん…たくさん…



母から、昔、よく言われてたのは、

「お前が一番、かわいがられてたよ…」と。


小さい時の私は人懐こかったし、

母よりは父の方が大好きだったので、

あぐらかいて、飲んでる父の、足の上に

いつも陣取って 座って、

一緒の時間を過ごしていましたから…ね(^^)




★10時から、葬祭場の係の方との打ち合わせ

各書類の記載や、

各種決めごと…

 告別式に飾るお花…祭壇…

 お棺…霊柩車…提灯…会葬御礼状…

 お茶やお菓子、食事の準備について…

 神主さんへの御礼… などなど…


最小限におさえても…

母が入会していた互助会の特別費用でも…

かなりの金額になり…驚くことばかり…


(私が弟と打ち合わせしている間、

  ダンナと子供達と猫は、ダンナの実家に。)



★お通夜

コロナ禍なので、

近くにいる親戚の半数くらいの方が…


3月下旬に家を出た、うちの長男も来てくれた♪

のびてた髪をスッキリ切っていて、

新生活をがんばってる様子

      (ちょっと、安心した)


姉の家族とは、何年ぶりだろうか…

大きく、立派に成長した甥や姪に

   久しぶりに会えて、うれしかったよ

いろんな思い出話をたくさんしながら…

父の最後の夜を、

私達家族と、姉の家族と、一緒に過ごしたよ


 葬祭場の家族控え室には、布団やベッド、

 お風呂やシャワー…いろいろ備え付けてあるの



★告別式〜火葬…

おごそかに 執り行われました…


神主さんの祭事を静かに見守り…

ひとりずつ 玉串奉奠…


最後のお別れ…

 参列者みんなで

 父のまわりに、たくさんのお花を添えて…

 母も泣きながら何度も声をかけていた…


霊柩車には、男の人達7~8人で運び入れてくれ、

母と姉と私は、一緒に乗りこみ…

みんなは、マイクロバスで火葬場へ…


火葬が終わるまでの待ち時間…

葬祭場で頼んでおいた 仕出し弁当を

広間で、みんなで食べながら

久しぶりの再会…の話など…


小さい時以来…30年以上、会ってなかった、

いとこ達も、(昔の面影のまま)いい大人になって

家庭を持って、立派な職について…いて、

あらためて、私も年をとったなぁ…と実感。

とくに、京都からきてくれた、いとことは、

幼少時以来だもん、

なつかしかった…

遠方はるばる…ありがたかった



お骨を骨壷へ…

もう父の姿かたちは ありません…

お骨を 私、母、姉…と箸渡し…骨壷へ

続いて、親戚のみんなも、お骨を骨壷へ…



★十日祭

火葬場からマイクロバスで移動し、

法事会館で、十日祭を行なってもらいます


  仏教は初七日…四十九日…というように

  7日の区切りで供養が行われますが、

  神道は10日の区切りだそうです。


十日祭…十日目に親族が集まるのは難しいので

    引き寄せて、早目に行なう…との事。


ここまで、葬祭場の係の方との話し合いで

説明を受けて、決めたこと…

           が、行われました。 


これで、長い葬儀の一日の全てが終わり…

父の写真、位牌、骨壷を家に連れて帰り

家の、神棚の前におさめました


母が

「やっと帰って来れましたね…

 安心して、ゆっくり、休んでくださいね…」と、

父の写真をなでながら、声をかけていて

母も、ここ数日の突然のバタバタで

疲れただろうなぁ…と思いました



葬儀が終わったので、

姉の家族は、それぞれ関東へ、

私の家族も、福岡や名古屋へ戻り…


私と姉は、数日こちらに残り…

     各種 手続きに、回りました


市役所や、年金事務所、銀行…

届け出や、名義変更などなど…


弟は、

父の危篤の連絡〜病院に何往復もしたり、

葬儀のバタバタなど…で、

普段(糖尿病)以上に、不調な体調だったので、

葬儀の最後の方では、立っておられず…

しゃがみこみ、周囲の人に心配をかける場面も。

葬祭場の方が、車椅子を…と声をかける程でした。

弟は大丈夫です、自分の加減で動きます…と、

車椅子を断っていましたが、

 (私や姉からすると、普段からの不摂生!

 食事と血糖の自己管理ができてないから!と。)





母は、

そんな、頼りない弟だけでは、

       各種手続きが終わらないかも…

と、心配していたので、

姉と、私、弟で、各所回りました

  まだまだ、終わらないほど、たくさんある…


各所回って、家にかえると、

母は、テレビみながら、寝てしまってる様子…。

五十日祭は、どうするのか…など、

何度も何度も、同じ説明が必要なくらい、

母は、ボケてるので、

姉と私は、笑いながら、何度も説明してたよ。


ちょっとボケてる具合なので、

居なくなった父への悲しい想いも、いい具合に半減してたらいいなぁ…って思ったりもします





★ゴールデンウィークは、

母の様子など、気になるので、

私だけ、高速バスで 鹿児島に帰ってきました


母は、葬儀の後、

週2回で、通っていたデイサービスを、

  「なんか、疲れたから、休むわ…」

と言って、休んでいたので 心配だったけど


翌々週からは、元の生活に戻っていたので、

ちょっと 安心しました


デイサービスのない日は、

老眼鏡かけて新聞見たり、テレビ見たり、

食後は、眠い、アカンわ、眠い…と居眠りしたり、

猫を側に寄せて可愛がったり、してました。




今回の帰省では、

父の衣類の処分や、家の掃除…(とくにトイレ!)

庭の植木の剪定…など、してきました 


まだまだ、片付けないといけない事は、たくさん…

弟は、自分の体調維持で精一杯なので

私が帰れる時に、帰って

ボチボチ片付けしていかないとなぁ…と思ってます


今月末には、五十日祭です

葬祭場の法事会館では、費用がかなりかかるので、

神社の神主さんに、直接お願いして、

神社で、五十日祭を行なってもらう予定です


  ↑5年ほど前に、入院していた時の父…

このときは、若い時の記憶と現実と夢とが、
混乱してて、父の亡くなった弟や妹の名前を呼んだり
してたから、
私が面会に行って、「私がわかる〜?」って聞いたら
「馬鹿にするな! ヒロミやんか!!」と怒られ、
そして、極めつけの一言、
「ヒロミは、もっと痩せとったのに、
 ブーちゃんになってしまったなぁ!!」と。 (*_*)




↑母のデイサービスでの作品♪





💚相葉くんゴト余談!💚


父の亡くなった前日は、

相葉くんの舞台の申し込みの、

      当落発表の日、4/7でした!

娘の、大学の入学式の日なので、

私は、仕事の休みをとっていましたが、

コロナ禍なので、学生と教職員のみの式にすると。


初めてのスーツ・初めてのパンプス

メイクにヘアーアレンジに…と娘が忙しくしていて

時間ギリギリに、

ハラハラ、ドキドキ、駅まで、送っていく始末。


嵐の去った後の静けさの中で

     ホッと、ひと息…してるとき、

ファンクラブからのメールが届いたよ。


きっと、また、出演番組のお知らせだろう…と

安易な気持ちで開いたら、

   舞台の申し込みの当選メール!!


娘の入学式の事で、頭がいっぱいで 忘れてた

   そっか!

   今日だった!!

   わぁ、当たったのー?!

と、びっくりしたのと、うれしいのと…


だけど、同時に、咄嗟に頭をよぎったのは〜、

  ・私、行けるのかなぁ…大丈夫かなぁ…?!

  ・鹿児島には全然帰ってないけど、

   父や母は高齢なので、いつ、何が

   起こってもおかしくないほどの状態だよ…

  ・私、ホントに行けるのかなぁ…と…


当選の喜びよりも、

なんとも得体のしれない、

  不安な気持ちの方が 強かったの…です




🔔🎵🎶

来月の舞台までは!

劇場の席に座る、その瞬間までは!

    まだまだ、信じられないよー

    というのが、今の私の心境です


無事に、その日を迎えられるように〜

何が何でも行くよーという気持ちで、

            日々、がんばるよ🐾




相葉くんが 大、大、大好きなのに、

観に行けない、お友達の気持ちを思うと… 


そのお友達の分まで、しっかり観てくるよ!!


そして、

まだまだ、何かしらのチャンスがありますように〜と、祈ってる!!