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「これでもか!」に「負けるもんか!!」

これでもか!これでもか!と私の身の回りに起こる出来事。大変なことや辛いことばっかりだけど、おかげで色々な経験をしました。せっかくなので記録に残しておきます。

前に義父はいつも私の味方だったと書いたのですが 義母もいつも私の味方でしたよ。

 

 

 

息子が障害者になる前の夫は そりゃ~ワガママ大王で 私も気が強い方なのでしょっちゅうケンカしてたんですが いつも義母が階下から仲裁に駆けつけてくれて 私の味方をしてくれていました。

 

 

 

夫は今だとパワハラとかモラハラとかいうレベルなんじゃないかなぁってところ。

 

 

 

今だったら弁護士入れて離婚だぞ!

 

 

 

命拾いしたな夫!

 

 

 

ま、そんなこんなで大体いつも悪いのは夫なので義両親は私の味方でしたわ。

 

 

 

ある年の暮れ 夫のあまりにも理不尽なワガママで大喧嘩になり もう我慢の限界だ!こいつの脳天を勝ち割ってやる!と私は決意したのでありますよ。

 

 

 

ただ 階下に夫の実母がいるので 一応 実母の了解を取るか!と夫の実母のところに行った私。

 

 

 

「お義母さん 夫さんの頭を勝ち割りたいんですが。」と申し出てみたところ。

 

 

 

間髪入れずに「どうぞ!どうぞ!」と快く了承してくれた上に

 

 

 

「何なら腕を押さえておきましょうか? 足はお父さん(義父)に押さえてもらえばいいし。

あ トンカチはある? トンカチ 貸しましょうか?」

 

 

 

何と!そんなことまで申し出てくれました。

 

 

 

「お義母さん!ありがとうございます!トンカチはウチにもあるので大丈夫です。あばれるようなら押さえるのお願いします。」

 

 

 

実母の了解ももらったし 加勢の約束も取り付けたし 私は腕まくりをしながら意気揚々と2階に戻りましたが そこで見たものは・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

出窓のサッシを一生懸命 掃除している夫の姿。

 

 

 

 

 

「お、ミケ子! ほら!こんなに綺麗になったよ!」

 

 

 

夫は自分が悪いとわかっていながら引くに引けなくなってたんですね。

 

 


 

まぁ サッシもキレイになったし 今回は許してやるか!と 夫の脳天を勝ち割るのは次回に持ち越そうと思った私なのでした。

 

 

 

 

いっつもそうなんですよ、夫はケンカの途中で自分が悪いとわかるの。

 

 

 

 

そして ケンカ中は絶対に自分の非を認めないのに しばらくするとケンカの原因だったことを修正してくる。

 

 

 

そんなこんなのケンカを繰り返し あれから40年! 夫のしゃべる話の内容を半分以上聞き流してるので 「この間も言ったろ!?お前 耳悪いんじゃないの?」と補聴器を勧められたりしている私なのでした。

 

 

 

 

 

 

 


 

我が家の近況ですが 息子と私は相変わらずの引きこもり生活。

 

 

 

夫はこの3月でいよいよ再雇用も終わり 『長のお勤め ご苦労様でございました。』と労われるはずでしたが 昔の部下から声がかかって本社で週2回のアルバイトをすることになりました。

 

 

 

再雇用も終わりが近づいた頃 夫は仕事を辞めたらパッタリと死んじゃうタイプだよなぁ と覚悟をしていた私ですが(以前の上司と先輩がそうだった) 今しばらくその心配はしなくてよさそうになりました。

 

 

 

その上 本社の中を歩いていたら後輩に見つかりw「入力の人手が足りなくて間に合わないんですぅぅぅ!2週間でいいんですが手伝ってもらえませんか!」と泣きつかれ 週2の仕事の無い3日間 後輩の部署の手伝いをすることになり この月曜日から週5で働いておりますよ。

 

 

 

私としては体は大丈夫なんだろうか?と心配しましたが 本人の「2週間だけだから大丈夫だ!」との自信に満ち溢れるコメントに「あ、そう。」と答えるしかありませんでしたわ。

 

 

 

「俺は『俺は65のジジイなんだぜ?!』って言ったんだけど『猫山さんなら大丈夫ですよぉ!』って言うからさ。困るよなぁ 本当にジジイなのに。」と ジジイが嬉しそうに申しておりました。

 

 

 

延長してくれ!と言われたら断れ!と一応、釘を刺しておきましたよ。

 

 

 

本当は心臓のリハビリ病院に行かなきゃいけないらしいのですが 本来の週2のアルバイトの仕事場が7階にあって 一日に何往復かエレベーターを使わず階段の上り下りをしてるので それがいいリハビリになってる と本人が申しております。

 

 

 

さて どうなることやら。

 

 

 

私は何かしらの覚悟はしておいた方がいいんでしょうかね?(苦笑)

 

 

 

 

 

 

 

先日 スーパーで久しぶりに会った友人が 旦那さんが認知症になって 毎晩 同じ話を何度もするので参ってるという話を堰を切ったように話し始めた。

 

 

 

少し離れたイートインコーナーに件の旦那さんがニコニコして座っていた。

 

 

 

いっぱい話しを聞いてあげたかったけど 買い物中だったので少ししか話を聞いてあげられないのが心残りだったけど仕方ない。

 

 

 

それにしても旦那さんが認知症になる年頃なのね 私たち。

 

 

 

ウチの親たちは4人とも認知症にはならなかったなぁと親たちの最期を思い出したりした。

 

 

 

義母は認知症になる間もなくアッという間に逝ってしまった。

 

 

 

実父は最期の最期に私のことがわからなくなって 自分に娘がいることも忘れてしまったのに 担当の看護師さんの名前は憶えてたし 母の名前もちゃんと言えた。

 

 

 

私のことだけ忘れたの!?え~~~~!?とちょっとむかついたので 次回 私のことがわからなかったら 「私は吉永さゆりです!」と言ってみようと思ってたのに それを試す前に逝ってしまった。

 

 

 

実母は とにかく最期まで意識がはっきりしていて 肺の病気だったため呼吸が出来なくて ずっと苦しがっていて見ているこっちも辛かった。

 

 

 

本当に最期までしっかりしていて 亡くなる日の夕方私に「早く帰りなさい。○○(息子)が待ってるんだから。」と言って私を驚かせた。

 

 

 

だって 母がそんなことを言うなんて初めてのことだったから。

 

 

 

いつもは「もう帰っちゃうの? まだいいじゃない? 明日も明後日も来てね。」と言って私を困らせた。

 

 

 

それが「早く帰りなさい。○○がまってるんだから。」と夕方に私に言い、その日の夜9時に一人で逝ってしまった。

 

 

 

私に最期を見せたくなかったのかなぁ。

 

 

 

まだ逝くまで時間がかかるから待たせちゃ悪いと思ったのかなぁ・・・なんて書いてて 今 ちょっと泣きそうになってしまった。

 

 

 

 

 

義父はいよいよ歩けなくなって 入院したけどコロナ禍で数回のオンライン面会しか出来ず 看護師さんに寂しい寂しいと訴えていたらしい。

 

 

 

 

義父の残り時間があまりなくなった頃 看護師さんがどうして今の内にご家族に会わせてあげたいと義父をベッドごと面会室に連れて来てくれて会わせてもらった。

 

 

 

その頃には もうしゃべれなくなってい

て こちらの言うこともどのくらい伝わっているのかわからなかったけれど 夫も私も一方的に話しかけていた。

 

 

 

そして 10分だけの面会時間が終わる頃 私が「エレベーターが壊れて息子が外に出れなくなっちゃってるのよ。」と言った時 義父の唇が動いてかすかに声が出た。

 

 

 

看護師さんと私は顔を見合わせて

「今『可哀そうに』って言ったよね?」と確認し合い その瞬間 私の涙腺が崩壊してしまった。

 

 

 

そう 義父はいつも自分のことは後回しでいいからと 息子のことを優先させてくれていた。

 

 

 

そして 私がどんな日常を送っているか誰よりも側で見ていてわかってくれていて 

「俺はミケ子が可哀そうでしょうがない。」とも言ってくれた人だった。

 

 

 

義母が亡くなった後 20年近く どんどん年を取っていく義父との生活は大変だったけれど 義父はいつも私の味方でいてくれた。

 

 

 

私は病院の廊下で我慢しようとしても涙を止められなくてベソベソ泣きながら駐車場まで歩いて車の中で大泣きした。

 

 

 

義父の最期は夫が看取った。

 

 

 

とまぁ、友人の旦那様の認知症からこんなことを思い出したんだけど 親は認知症にはならなかったけど 夫はどうだろうか・・・私はどうだろうか・・・。

 

 

 

こうなったらボケたもん勝ちだな。