ギランバレー症候群 11 | 「これでもか!」に「負けるもんか!!」

「これでもか!」に「負けるもんか!!」

これでもか!これでもか!と私の身の回りに起こる出来事。大変なことや辛いことばっかりだけど、おかげで色々な経験をしました。せっかくなので記録に残しておきます。

ガンマグロブリンの大量投与でも何の変化もなかった息子はグロブリン投与と平行して血漿交換という人工透析と同じように体の中の血液を一旦、外に出して機械を通して濾過するという治療も始めた。





血漿交換をするために体の中で一番太い足の付け根の血管に針を刺しっぱなしにして、その治療は始まった。





お隣のベッドの中年の男性はどうやら脳梗塞だったらしいけれど、手足は動くので自分で点滴の針を何度も抜いてしまい、両手に大きいミトンの手袋をはめられていた。






その点、何をしても、どこに針を刺しっぱなしにしても動かない息子はお医者さんや看護師さんにしてみれば安心だったようだ。







この血漿交換の治療が始まった頃から息子は40度とか41度とかの高熱を出すようになり、体温を下げるために氷枕(ゴムの水枕をそのまま冷凍庫に入れカチカチに凍らせたもの)を背中やわきの下や足の付け根の針の入っていない方にはさまれて、しかも、体中に薬疹も出始め、腕には点滴の針の跡がそこら中にの残り・・・それは、もう、見るも無残な体に。





私は、こんな体になっちゃって、この子は例え病気が治ったとしても、もう元の体には戻らないかもしれないな・・・と、思ったりしていた。






確か血漿交換を始めてから割とすぐの頃だったと思うけれど私は担当医に呼ばれた。







「息子さんはギランバレー症候群の中でも・・・最重症・・・のギランバレーです。普通、ギランバレー自体が原因で命を落とす人はほとんどいない・・・・、いたとしてもほんの数パーセントですが・・・息子さんは・・・その数パーセントに入る・・・かと。一応・・・覚悟をしておいておいた方が・・・。」






この担当医は今まで見たことないようなイケメンで、いつも姿勢良く颯爽と

歩いていて、白衣さえ脱いだら絶対に医者には見えないような、まだ、話が出来た頃の息子と、あの先生ってカッコいいよね~!品川ナンバーのフェラーリで窓を全開、イヤイヤ、オープンカーで湘南を走っていそうだよね~!と話していたくらいのイケメンでしかも仕事が出来そうな感じの人だった。





その仕事の出来そうないつもテキパキと話をするイケメンの担当医が今日に限って何故、途切れ途切れにモゴモゴとした言葉を選ぶような話し方をするのか、私には不思議で、最後まで聞いても担当医の話の内容がよくわからなかった。





私はぼんやりと担当医の途切れ途切れの言葉をつなぎ合わせ、反芻し、漸くその言葉の意味と担当医が話しずらそうにしていた意味を理解し、今度は私が不思議なことに感情より先に涙がこぼれてきた。





そこから先の担当医の言葉も側についていた看護師の言葉も全然覚えていない。




「目の前が真っ白になる」っていうのはこういうことなんだなぁ、と、もう一人の別の自分が頭の中で妙な感心をしていた。