病院というのは死と隣り合わせなはずなのに泣いている人は案外少ない。
私はというとICUから抜け出して休憩を取りに行くたびに涙が出てきて泣けて泣けて・・・コンビニやファストフードのある日当たりの良いロビーでお茶を飲んだり、食事をしたりしている人たちに背を向けるように外を眺めるふりをして泣いていた。
何しろ、生きているのか死んでるのか区別もつかないくらいの人間を相手に話しをするというのはきつい!
かろうじて生きていると思えるのは体が温かいということだけ。
呼吸で胸は上下しているけれど、それは人工呼吸器が酸素を送り込んでるからであって、眠っている人のように自然な感じではない。
「今日はいい天気だよ。」
「・・・・・・」
「でも、風が強くて寒いのよ。」
「・・・・・・」
「ここは暖かくていいね。」
「・・・・・・・」
何を話しかけても聞こえるのはシュコーシュコーという呼吸器の音だけでピクリとも動いてくれない息子に思わず「たまには返事してよ!!」と大声を出して泣き叫びたくなる衝動を抑えなきゃならない。
ここはいくつもベッドが並んでいるだだっ広い部屋の真ん中。
看護師さんやヘルパーさんが常に近くで仕事をしていて、何かあればすぐに駆け寄ってくる。
しかも、ICUにこれだけ若くて、これだけ重症の患者が入ってくるのはめったにないらしく、看護師さんもヘルパーさんも全員が息子はもちろん、面会に来る私たちにも何くれとなく気を使ってくれているのがわかるので、私が取り乱すわけに行かなかった。
この時に息子が受けていた治療はガンマグロブリンという血液製剤の大量投与。
ガンマグロブリンは点滴で、昼も夜もなく薬がなくなれば間髪入れずに次の薬が用意され、文字通りの大量投与。
私たちは、やはりギランバレーになって体中が動かなくなってしまったという方のブログでガンマグロブリンの大量投与で急に手足が動くようになり、それ以降、順調に回復したというのを読んでいて、私たちもとても期待していたのだけれど、何日経っても息子に回復の兆しは現れなかった。
ICUに入って何日目かに息子は口から入れていた人工呼吸器の管を気管切開して喉の下の方、鎖骨と鎖骨の間ぐらいに開けた穴から管を入れた。
その気管切開の穴は今でも息子の首に開いているけれど、今はもう奥の方はふさがっていて、まるでおヘソのような感じになっている。
ちなみに吉本芸人の千原●ュニアにも気管切開の跡が残っている。
彼はバイクの事故で生死をさまよい、その時に気管切開して人工呼吸器を付けたらしい・・・相当ひどい事故だったのね。