2005年1月
ドラマなどで人が亡くなると次の場面はいきなりお葬式だったりするけれど、現実はそんなに簡単にお葬式にたどり着けないのは以前の記事にも書いた通り。
義母が亡くなり、大騒ぎの夜が明け、朝が来た。
ほとんど眠れずに朝を迎えた私は布団の中であることに気づいて飛び起きた。
・・・ 朝ご飯!・・・
そう、誰が死んでしまっても、それがどんな悲しいことでも、辛いことでも、生きている人は何かを食べなければならない。
そんなの当たり前のことなのに今まで考えたこともなかった。
ドラマじゃそこのところを描くことなんてほとんどないもんね。
我が家で唯一の女性となった私は、主婦として『食』に突き当たり、前日の義母の死はまるでテレビドラマのようだったけれど、これはドラマじゃなく現実のことなんだ、と改めて思い知らされた。
階下には義父と泊まってくれた甥っ子がいる。
2人に朝食を食べさせなきゃいけない。
私たちも食べなきゃいけない。
そうだ、お義母さんにもご飯を供えなきゃいけないんじゃないの?
確か・・・お茶碗にこんもりとご飯を盛ってお箸を立てる。
急いでご飯を炊き、お茶碗を2つ使って、見よう見まねでご飯を盛ってみた。
義父たちには梅干と鮭とかつお節のお握りとお味噌汁。
それらをお盆に載せ、慎重に慎重に階段を降りて階下へ。
この日からず~っと、私は階下の義父に毎日こうやって食べ物を運んでいるので、4年経った今では載せる物のバランスが悪かろうが、汁物が多かろうが、ヒョイヒョイと難なく階段を降り、上手にドアを開けることが出来るけれど、当初はずいぶん苦労して運んでいた。
今じゃ、ファミレスの店員さんより上手く運ぶ自信がある
義父たちは真冬の朝に身も心も冷え切っていたのだろう、温かい味噌汁とお握りを「美味いなぁ~~~。」と喜んで食べてくれた。
その後も、義父は「あの時の味噌汁とお握りは美味かった。」と言ってくれたのだけれど、つい最近、もうすでにあの日の朝のことはす~っかり忘れてることが判明した
でも、生きているということはそういうことよね