島原・天草旅行記 3 | 始めのはじめは一(ハジメ)なり

始めのはじめは一(ハジメ)なり

先祖・家系調査の具体的な方法をご紹介します。
大好きな新選組隊士・斎藤一を調べていたら
自分の先祖に関係があった!
そして知った先祖とは、なんと明智光秀だった!
そこから広がる史実と閨閥の世界。

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こちら の記事に書いた鈴木兄弟。
天草・島原の乱の後、天領・天草の代官となった
旗本鈴木家当主の重成は、乱により乱れた人心を鎮める

ために、僧侶である兄の鈴木正三を招きました。
重成は植民を促進し、再検地を行い領民の税を軽くするよう
幕府に訴えたり(年貢半減は諸説あり。重成の死後、

養子・重辰の時代に年貢半減が叶った。)というように善政を

布き、天草領民の尊崇を受けました。
天草・島原地方には重成・正三兄弟が開山した寺院が今も
いくつも残っています。
わたしのうちの菩提寺もその一つであり、天草土人形を

作りはじめた広田和平が瓦焼き職人として働いた

東向寺 も鈴木兄弟により開かれました。
 


天草地方には鈴木兄弟を祀った鈴木神社が建立され、
「鈴木様」と呼ばれる石塔や供養碑が数多く建てられ、
近代に入ってからも鈴木三公の像がこの地方のあちこちに
置かれています。
鈴木家の知行地であった三河・足助(あすけ)地方の

人々との交流もあるそうです。




東向寺の本堂は現在工事中でしたが中に入ることが

できました。
ガイドのKさんが、郷土史家の鶴田功先生 を東向寺へお呼び
くださっていました。
Kさんはお顔が広く、どこへ行ってもお知り合いだらけでした。
わたしが以前から鶴田先生とメールの交信をさせて頂いて

いたのを知って、わざわざ連絡してくださっていたのでした。



東向寺の門前図で広田家の場所を確認したり、見事な

格(ごう)天井絵を見たりした後、鈴木神社に参りました。



鈴木神社



本渡市指定文化財 鈴木明神伝碑



思えばわたしが自分の家系について調べはじめたのは、
新選組隊士・斎藤一の実家が鈴木家と繋がりがあり、
その鈴木家が天草・島原の乱と関わりがあったという話を
聞いたことがきっかけです。
その鈴木重成公を祀る場所にやって来ることができ、
感無量でした。






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