誤解している人も多いようですが、現・細川家当主
である細川護煕氏はガラシャの血を
引いてはいません。
近世細川家は細川藤孝(幽斎)からはじまりその
嫡男がガラシャの夫忠興です。
江戸期に入ると細川家は熊本へ移封され、
忠興・ガラシャ夫妻の三男忠利が熊本藩初代藩主の
座に着きました。
そのあと光尚→綱利→宣紀→宗孝→重賢→
治年と、忠興・ガラシャの子孫が藩主として
続きますが、治年が三十歳の若さで亡くなって
しまい、しかも治年の子として生まれた男子は
みな早世してしまっていたので、跡を継ぐ者が
途絶えてしまいました。
そこで、忠興と側室との間に生まれた子の子孫で、
熊本藩の支藩宇土藩主の家系に生まれた
立礼(たつひろ)という人が、熊本藩の養嗣子として
迎えられました。
立礼は斉茲(なりしげ)と名を改め、第八代
熊本藩主となりました。
こうして忠興の血は現在の細川家当主にも
引き継がれていますが、この家は治年を最後に
ガラシャの血を引かない家となりました。
ガラシャの血を引く家としては、忠興との間に
生まれた長男や娘の家系が現在も続いています。
忠興・ガラシャの長男・忠隆はガラシャの死後
廃嫡され、長岡休無と号して京都に住みました。
この長岡休無は、三宅藤兵衛(ガラシャの姉の子。
唐津藩士)が亡くなった後、藤兵衛の息子たちを
熊本細川藩へ招き、熊本藩士となるように
尽力しました。
長岡休無の子孫には政治評論家として有名だった
細川隆元氏や、隆元の兄の子で同じく政治評論家
だった細川隆一郎氏などがいました。(いずれも故人)
隆一郎氏の娘の細川珠生氏 が、現在
政治ジャーナリストとして活動されています。
珠生氏はカトリック信者であり、洗礼名を
ガラシャというそうです。

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