創立175年を超える順天堂。
その順天堂の系譜になんとわれらが副長土方歳三
の名が記されているのをご存知ですか?
わたしが家系調査をはじめた当初、もちろん
順天堂のHPは閲覧していたのですが、その時には
副長の名前に気付きませんでした。
気付かなかったのかそれともその後
書き加えられたのか。
とてもひさしぶりに順天堂HPをのぞいてみたところ、
順天堂の系譜
という頁に副長の名を見つけ
びっくりしました。
順天堂第5代堂主、第二代理事長 有山登
この人はなんと新選組の庇護者、佐藤彦五郎&
のぶ夫妻の直系子孫にあたる人なのです。
彦五郎・のぶ夫妻の四男彦吉は有山家に養子に
いきました。
その彦吉の息子が有山登で、登は順天堂第四代
堂主の娘と結婚し、第五代堂主の座に就きました。
彦五郎・のぶ夫妻の孫が順天堂堂主に
なったのです。
順天堂の系譜の頁には、佐藤のぶの弟として
土方歳三の名がしっかりと記されています。
日野の佐藤彦五郎さんといえば日野の名主で
自宅は日野宿本陣を務める名家であり、小野路村
名主の小島鹿之助、近藤勇、佐藤彦五郎の
三人は義兄弟の契りを交わした間柄。
そして彦五郎の妻のぶは土方歳三の実の姉という
新選組ファンにとって彦五郎夫妻は、愛と尊敬を
捧げる大恩人です。
その彦五郎夫妻の孫にあたる人がまさか順天堂
堂主になっていたとは。
順天堂と新選組の関わりは、新選組の主治医
松本良順先生だけではなく、副長自身とも
関わることになったんですね~。
そしてさらに、有山登に続く第六代順天堂堂主は、
なんと会津の山川健次郎博士の孫にあたる人
なんです。
健次郎さんの三女照が東龍太郎(東京都知事)に
嫁ぎ、龍太郎・照夫妻の次男、東健彦が順天堂の
堂主となりました。
健彦の妻は有山登の娘であり、登の妻もまた順天堂
創立者佐藤家の系譜に連なる人(佐藤家の養女)
なので、彦五郎さんの佐藤家と副長、会津の
山川家はみな順天堂創立者一族の縁戚関係に
なっているというわけなのです。
ということはもちろん、榎本武揚や緒方洪庵、
三宅艮斎・秀といった人たちとは順天堂という組織の
系譜だけではなく、家系図上でも繋がっていると
いうことになります。
恐るべし順天堂。
順天堂の創立者佐藤泰然という人はとても
フリーダムな精神の持ち主で、自分の子も他人の
子もわけへだてなく愛しました。
三宅秀のことも実の孫のように思っていたそうです。
泰然は、自分の子は優秀な子であっても望まれれば
平気で他家に養子にやってしまうし、逆に自分んち
にもほいほい引き取りました。
順天堂の跡を継がせるのも自分の血筋に
こだわらず、よりふさわしい人という一点で
後継者を選んでいます。
三宅秀は順天堂第二代堂主の次女藤を妻に娶り、
佐藤家の中核的存在だったそうですが、秀自身は
東大に籍を置く人だったため、順天堂に直接関係
したことは少なかったのでした。
しかし、順天堂運営の基本である組合組織の
会員であり、順天堂大学に発展する基礎となった
「順天堂医事研究会」の会員でもありました。
そしてヒイズは第四代堂主となった佐藤達次郎を
推薦しています。
達次郎も元は佐藤家の人間ではなく、第二代堂主の
佐藤進が後継者を決める際に三宅秀の意見を
大幅に取り入れ、当時医科大学に在学中の学生
だった河合達次郎を佐藤家の養子とし
跡を継がせたそうです。
そうして学是「仁」の精神が脈々と受け継がれ
現在に至っています。
順天堂佐藤家と三宅家の繋がりは深く、
佐藤家の親族会「藤の会」と三宅家の親族会
「桔梗会」との合同で親族会が催され、榎本武揚が
出席したこともあったそうです。
副長は若くして亡くなったけれども、順天堂や
チーム箱館メンを通して、今もかすかに副長の
姿が見えるような気がします。


