光秀の墓前で | 始めのはじめは一(ハジメ)なり

始めのはじめは一(ハジメ)なり

先祖・家系調査の具体的な方法をご紹介します。
大好きな新選組隊士・斎藤一を調べていたら
自分の先祖に関係があった!
そして知った先祖とは、なんと明智光秀だった!
そこから広がる史実と閨閥の世界。

島原の乱を調べるうち、いつどこでそのことを

知ったのかちょっと思い出せないのですが、

ある話を知りました。



それは、島原の乱には明智光秀の関係者が

からんでいるらしい…という話です。

さらに島原の乱について(正確には天草・島原の乱)

調べを進めていくと、ある一人の人物の名が

浮かんできました。



それは三宅重利(藤兵衛)という名の人です。





その人が何者なのか、最初はまったく知りません

でしたが、最初にその名を聞いた時、

ハッと胸を突かれた思いがしました。



それはわたしの家の家紋が桔梗紋だったからです。


桔梗紋といえば、もちろん明智光秀の家紋。



島原 三宅 明智光秀





島原の乱と鈴木家を調べていたはずなのに、

ここで猛然と明智光秀のことが気になりだしました。

島原の乱は、明智光秀が生きた時代から50年も

後の事件です。
これがいったいどう繋がるのでしょう。






わたしは昔から明智光秀のことが嫌いでは

ありませんでした。
いえ、実は好きな人物といってもいいほどの興味を

持っていました。
それと同じくらい織田信長にも興味があり、
とくに信長と宗教の関係についてオカルト的な

部分にとても興味がありました。




わたしがはじめて明智光秀を意識したのは、

たしか小学5年生の時でした。


その年、林間学校で高野山へ行きました。

高野山には明智光秀の墓というものがあります。
その五輪塔式のお墓のお腹にあたる部分には
大きくヒビが入っています。

墓前でお坊さんがわたしたち小学生にむかい、
説明を始めました。


それは、明智光秀は主君に対して謀反を

興したので、その罰を受けてお墓にヒビが入るという

内容の話でした。




わたしはその時、とても憤りを感じました。

亡くなってからもそんな風に云われるなんて
ヒドイ話だ!と思い、とても理不尽な話を聞いた気が
しました。

同級生のみんなは神妙な顔をして聞いて

いましたが、わたしはなぜだかわからないけれども

すごく腹が立ち、またとても悲しい気持ちに

なったのをはっきりと覚えています。



それまで明智光秀や本能寺の変、信長について
特に詳しいわけでも思い入れがあったわけでもない
ただの小学生が、なぜそんなふうに思ったのかは

わかりません。
とにかくその時からわたしの心の中に、明智光秀の

ことがはっきりと刻み込まれました。


といってもそれから特に光秀に関して勉強する

わけでもなく、ふだんはすっかり忘れて

いるのですが、その日以来いくら世間で光秀が

謀反人だとそしられようと、わたしが光秀に感じた

好意はずっと変わらず続いたのでした。




いま思い出すと不思議な話です。



そしてこの後長い時が経ち、数年前に家系調査を

始めてからはさらに不思議な話が次々と

おこりはじめました。


まるで何かの封印を解いてしまったかのように、
それとも何か見えないチカラに導かれるかのように、
すべてのものが繋がっていきました。





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