【道着】    

近代空手の父と称される「船越義珍(ふなこしぎちん)」が本土に初めて空手を紹介して、今年でちょうど100年になります。

その時に着ていた「空手着第1号」は大急ぎで柔道着を参考に作った物だと言われています。
それ以前の空手家は特に決まった稽古着はなく、各々が動きやすい格好で稽古していたようです(裸も多かった)。
という訳で空手着も今年でちょうど100才になるのです。

空手着に限らず「ユニフォーム」と呼ばれるものには、何か不思議な力が宿っている気がします。
ひと度それに袖を通せば、たちまち背筋はピンと伸び、アゴは自然と下がり、ハキハキと受け答えを繰り返し、知らず知らず身体に生気がみなぎるのです。
特に初めて空手着を着た子供達はいつも本当に嬉しそうで「強くなるぞ!」と、たちまち元気な姿に生まれ変わります。

柔道着から派生した空手着はその後改良を重ね、現在では厚手の物は「型」に、薄手の物は「組手」に、競技種目によって替えて使われています。
また、フルコンタクト空手と伝統派空手の違いによっても、それぞれの特徴を生かした仕様になっています。
フルコン空手は動きやすくする為に袖丈は短く作られていて、反対に足丈は衝撃をカバーする為に長めになっています。
伝統派のズボン丈はスピードを生かす為に短めに作られていて、またそうする事で足の動きを見えやすくしています(細かなポイント判定の為)。
道着の色は概ね白(マーシャルアーツにはカラー道着もある)ですが、伝統派の試合ではどっちがどっちかをわかりやすくする為に帯やグローブ、すね当ての色を変えて見分けがつくようにしています。
新極真会では帯の上から赤い紐を巻いて、白(赤紐を巻いてない方)と赤で分けています。
一方柔道着は1998年のワールドカップから、まずは海外で「カラー道着」の導入が始まり、日本はその5年後の世界大会から導入しました。
相撲は最近いろんな色のまわしが見られますが、対戦時にわかりやすく色分けする事はないそうです。

柔道は1882年(明治15年)、台東区のお寺の12畳ほどのスペースから始まったそうですが、その源流は戦国時代からあると言われている「柔術」にあります。

江戸初期の頃の柔術の稽古着は、まだ着の身着のままで行われていたようですね。
江戸の中期頃からは袖の短い襦袢(じゅばん)のような上衣と膝小僧が見えるステテコのようなラフな格好で稽古していたと言われていますが、
このラフな下着姿のような格好こそが「稽古着」のルーツだったのです。

明治に入り柔道がメインになってからの稽古着は、乱取り稽古などで破れない様に頑丈に補強され、擦りむき怪我防止の為に袖とズボン丈も長くなっていったようです。
空手は上半身裸での稽古が多かったようですが、その背景には沖縄の温暖な気候や適した筋肉が使われているかをチェックする為に上衣は必要なかったのでしょう。(今も稽古によっては裸で行われている)

今「リラコ」などの名称で人気のある「ステテコ」は私達世代では家でくつろぐ親父達の定番スタイルでした。
ゆったりとしていて通気性が良く、まだ稽古着やジャージなどが無かった時代には稽古に最も適した素材だったのでしょうね。
ちなみにステテコの前身は「股引き(ももひき)」だそうで、今でも人力車を引く人や職人さん達に受け継がれています。

日本における衣服は、まず最初に布を身体に巻きつけたものや頭からすっぽりと被ったものから始まり、のちにズボンやスカートが生まれ、次に袖口の小さな服(小袖、元々は上流階級の下着)を着るようになり、それが次第に着物の形へと変わっていったのです。
和装から洋装への変わり目は明治の文明開化です。
しかし洋服にまだ馴染みのなかった日本人にとって、その着こなし方は謎だったようで、和と洋が入り交じったファッションからのスタートだったようです。
ちなみに日本人の洋装スタイルは幕末の軍服がその始まりだと言われています。

現在の「下着」も洋装になってからのもので、それ以前は女性は腰巻き、男性はふんどしスタイルが一般的でした(ノーパンも当たり前!)。
そして洋服の定着と共に腰巻きはズロース、ふんどしは猿股(さるまた)へと進化していったのです。
女性のブラジャーの原型は着物を着る時の胸の膨らみを押さえる為の「乳押さえ」だったそうです。
ちなみに洋服の発祥はヨーロッパで今日の服装はゲルマン民族が着ていた服にその原型があると言われています。
寒さをしのいだり、大移動する為に動きやすい形状にしたり、開拓する人々の知恵の結晶こそが洋服の始まりだったのです。

日々、闘争術を学ぶ私達は色んなシチュエーション(服を着ている、ネクタイを締めてる、裸、靴を履いてる、大事な物を持っている、コンクリートや砂地の上など)で稽古する事も、たまには必要ですね。
  
『花咲く空手教室稽古風景』







「 明るく!楽しく!強く!」
ありがとうございました。
     押忍  織田