【流派】
「空手」は琉球王国時代の沖縄で独自の拳法「手(てぃー)」に、中国の南方武術が合わさって発展したと言われています。
中国からどのように武術が伝わったかは諸説あるようですが(文献が残っていない)
沖縄では、まず最初にふたつのグループが出来たらしいのです。

ひとつのグループは、もっぱら実戦的な組手の稽古に励み、別のグループは型を熱心に稽古したそうです。
しばらくして第3のグループが現れます。 このグループは型も組手も熱心だったようです。
のちにこのグループを「那覇手(なはて)」、型を熱心に稽古するグループを「首里手(しゅりて)」と、それぞれ地域の名をとってそう呼ばれるようになり、首里と那覇の間に位置する泊村からは「泊手(とまりて)」と呼ばれる超実戦的なグループも現れました。
こうして空手の「三大系統」が生まれたのです。

首里手の流れをくむ人達は、のちに「松濤館流(しょうとうかんりゅう)」と名乗り、那覇手の流れをくむ人達は「剛柔流(ごうじゅうりゅう)」と名乗りました。
更にふたつの流れをくむ人達は、それぞれの創始者の頭文字を取って「糸東流(しとうりゅう)」と名乗り、それらの空手と柔術を掛け合わせた技を鍛練する人達は「和道流(わどうりゅう)」と名乗ったのです。
空手の「四大流派」の誕生です。

大正時代に「沖縄の空手」は、またたく間に本土に伝わりました。
しかし伝統を重んじる沖縄の指導者は「型」を稽古するばかりで、強さに憧れる若者達の間には不満が募りました。
いつしか若者達は指導者の目を盗んでは「組手」の稽古に没頭し始めたのです。
こうして「型」に重きを置く「沖縄の空手」は、次第に「組手」主体の「本土の空手」へと変わっていったのです。

一方「本土の空手」とは一線を画し、今でも沖縄の地に根を張る人達もいます。
「沖縄五大流派」と呼ばれる流派の方々です(上地流の部位鍛練などが有名です)。
競技化された空手が失った奥義とも言える空手の技術が、発祥の地である沖縄には、まだ残っているのです。

「直接打撃制空手」の始まりは初期の「剛柔流」からではないかと言われています。
防具を付けての直接打撃の始まりは「韓武館(のちに錬武館)」と言う流派が剣道の防具を用いたのが最初です。
日本で初めてグローブを付けて(防具なし)、空手の試合を行ったのは泊手の流れをくむ人で、1962年の事です。

防具なしの直接打撃制を広めたのは「極真空手」の創始者「大山倍達」館長ですが、若い頃には初期の「剛柔流」なども習っており、また、防具付き空手を模索する人達との交流の中で「フルコンタクト空手」の下地は出来上がっていったようです。

一枚岩だった「極真会館」からいくつかの「流派」や「団体」が分かれていくのは、1970年代終わり頃から1980年代の事です。
まず最初に黒崎健時氏がキックの「目白ジム」を立ち上げ、それに続くように当時の高弟達が次々と自分の流派や団体を立ち上げていったのです。
更に1994年に大山館長が亡くなってからは、各々が本流を名乗り、分裂分派の勢いは今もなお止まりません(新極真会もその渦中の中で生まれました)。
フルコンタクト空手の「流派」は元を辿れば、ほとんどが「大山倍達」に辿りつくと言われています。
当時私が習っていた「極真会館芦原道場」も「芦原会館」と名を変え、独自の道を歩んでいきました。
ほぼ同じ時期に芦原道場から石井一義氏が「正道会館(当時は正道館)」を立ち上げ、多くの先輩達がそっちに移っていったのを、不安げな気持ちで見ていたのを覚えています(芦原会館からも正道会館からも新しい流派が生まれています)。

沖縄の三大系統から出発した「流派」ですが、流派の違いは型や動きにも現れます。
「直線的で機敏な動き」や、「曲線的で相手の力を利用する動き」、更には「投げや関節技を取り入れた動き」など流派で特徴があります。
正拳突きの時の「引き手」なども「脇」と「腰」に分かれます。
また、型の呼び名も流派によって違います。
例えば「平安」は剛柔流系では「ぴんあん」と呼びますが、松濤館系では「へいあん」と呼びます。
型の表記もそれぞれ漢字だったり、カタカナだったりと色々です(漢字のほとんどは当て字だと言われています)
呼び方は沖縄の方言が用いられており、もはや中国の原型をとどめてはいません。

型もそれぞれの流派に特徴があり、「ダイナミックな型」や「受けで構成される型」、「体捌きが多くはいる型」や糸東流のように「型分解」を重視する流派もいます。
極真系の型の特徴は「正確さと力強さ」ですが、他の流派に比べると、スピードと変化に乏しい面もあります。
しかし型の種類は以外にも多く「平安裏の型」を含めると全部で28種類もあります。

流派があまりにも多すぎて世間では「空手」はわかりづらいと言われていますが、去年の東京オリンピックでは「空手道はひとつ、ルールはひとつ」のキャッチフレーズのもと、初めて空手が種目に取り入れられました。
しかし試合のルールは残念ながらひとつではありません。
「ポイント制」「ダメージ優先」あるいは「両方とも」など三者三様です。

大きく四大流派の「伝統派」と直接打撃の「フルコン派」に分かれている空手界ですが、いつか大同団結して妥協点を探りながら、同じ舞台の上で戦える日が来れば素晴らしいですね!(ちょっと無理があるかな)

一方、海外では「空手」という日本の武道に対する、全く
違った見方が大きく広がりつつあるようです。
スポーツ競技としての「空手道」に満足出来ない人達が世界的規模で急速に増えているそうです。
またどこからか新たなグループが現れるのでしょうか?