ちょっと前に、ジーラックさんが記していたこの記事、なかなかに本質を突いているんじゃないかな? と思って、読んでいて、勝手にシンパシーを感じていました。なので、リブログ記事です。
中学受験をした理由
ちょっと横に逸れますが、
…瓜兄(息子)に中学受験を"させた"理由は、ウチの場合ちょっと普通は逆なんじゃないかな?と思ってしまう理由です。
「SAPIXに入室してしまったから」
これですね。
瓜兄 小学3年生の12月、当時の彼は小学校のすべてを舐め腐っていました。日々の宿題はやらない。授業は聞いていない。同級生のことは内心ボロカスに馬鹿にしている。…そのくせして、テストはほぼ満点を取ってしまう。だから、世の中も舐めてしまい、自分の好きなことしかしない。それを指摘されると、噓や誤魔化しだけでその場を乗り切ることだけしかしない。
外面はそれこそ「優等生」のように振舞っていましたが、中身は…えぇ、もうそれはそれは、なかなかな「クソガキ」でした。
なので、自分は勉強ができる天才だと思っているような節がある瓜兄(当時9歳)に、『井の中の蛙、大海を知らず』の衝撃を与えたかったのです。 何の準備もなしに、SAPIXの入室テストを受けさせました。
満点どころじゃなく、半分の点数すら、なかなか取れないテストがあって、地元の小学校で優秀な程度では、大したことがないと言われる世界があることを、身をもって体験してもらいたかったのです。当然、入室基準点に届くなどと思っていません。…でも、入室基準点を超えていたんですよね。
瓜兄に聞きました。どうする? 入室する? 答えは、
『うん、体験授業面白かったから、入る!』
私自身も中学受験の経験者です。しかし、関西地方の中学については、ほとんど何も知りません。南瓜姫(妻)も私も関西地方は完全アウェイの場所です。そのため、当初、瓜兄に中学受験をさせるつもりはなかったのです。住んでる地域も、関西地方の中では、公立志向の強い地域だったというのもあるでしょう。とりあえずは、SAPIXに入れて、全国の猛者たちになかなか敵わない現実を、しっかり体験してくれればそれでいいや…という気持ちでスタートしました。
ですが、そこはさすがにSAPIXです。初めての保護者会で、「中学受験して当たり前」の雰囲気がそこら中から醸し出されていました。そして、小学4年生の5月、どんなものだろうとの興味本位で見に行った、最難関私立中学校の文化祭で、瓜兄も南瓜姫も私も完全に「中学受験するもの」へ切り替わったのでした。 (ある意味…チョロいww)
中学受験をさせたいから、SAPIXに入室させる親の多い中、ウチは、入室したことで、中学受験を意識しだしたという、ちょっと逆パターンなくちでした。
伴走中の原動力
ただ、いざ「中学受験をする」と決めたは良いけど、それに親として付き合うのは、かなりの精神的な負荷がかかるものだと、今更ながらに思っています。
「塾に任せておけばいいや」「金銭的な面でサポートするだけで手一杯」等々、割り切れればそうでもなかったのですが、中学受験をすると決めて、最初の目標に設定してしまったのが、【関西最難関中学】の1つ…瓜兄が塾で勝手にそこへ向かっていけるような、殊勝な性格の子でないことは、伊達に約10年瓜兄の親をやってきたわけではないので、十分すぎるほど知っていました。なら、親がそこに導いていかなければなりません。ガチで伴走をする覚悟をしたものです。
でも…これって…やっぱり、なんだかんだ言って、伴走する親も『受験』が好きじゃなきゃ、続くわけないんですよ。親なんだから子の未来のために、一生懸命にサポートしなければならない…なんていう「義務感」だけで、3年間も続けられるほど、私は人間ができていないんです。
受験は戦略ゲーム
誤解がないように断っておきます。
中学受験の主役 = 子
この大前提を忘れているわけではありません。しかし、人は誰しも「自分」から見た世界で生きています。なので、ガチで伴走をする覚悟をしたからと言って、自分にとっての楽しみがなければ、面白くもないのです。
そう言う意味では、ジーラックさんのおっしゃる、「受験は戦略ゲーム」この言葉が、大変腑に落ちました。
私、無意識に、「瓜兄を主人公」として、「様々な資源を投入し」、「選択肢を目の前に置き」、「(本人が建前上公言している)目標に向かって誘導する」戦略ゲームのプレイヤーになっていたんですね。
・ 未知だった関西圏の学校の概要や偏差値を
調べ、SAPIXで配布された資料だけでは
なく、違う発信元の情報を分析し、実際に
見学に行く学校を選択する。
・ 瓜兄の成績を分析し、SAPIXの講師達から
瓜兄についての情報を適宜入手、瓜兄へ重視
した方が良いと思われる学習を提案する。
・ 瓜兄のコンディションや精神状態を注視し、
押すところと、静観するとこを判断する。
当然、全てが成果を出したものではありませんが、(当たり前ですけど)自我がある「瓜兄という盤面上の主人公」に対して、有効な施策や、失敗した方案を結果をもとに再評価して、また次に活かす為の検証をする…とても面白かったんですね。…まぁ、本人にはなかなかぶっちゃけにくい、ダークサイドなんですがね。
でも、これって…やはり、私が中学受験の経験者だったからできた話でもあります。
「中学受験の結果では、
自分の人生は決まらない」
これを今までの経験で実感できていたことが、中学受験の経験は、合格=成功ではなく、『ある目標に対して真剣に立ち向かったという経験を10代の最初でできたこと』が本当の成功であると信じていたからこそ、親として「ゲーム感覚」を持つことができたのだと思います。まぁ、それでは精神的に余裕だったか? …と聞かれれば、それはそれで、別問題だったのも確かなんですよね。
だって、ゲームこそ「勝ち」に行かなきゃならないんですから!
以上、ジーラックさんの記事に乗っかった、リブログ記事でした。
MikeNeko