【野間大坊レポ 10/12】
平治の乱で敗れた源義朝が頼ってくると、長田さんは考えました。
『平家に義朝の首を差し出せば、褒美をもらえるカモ…』
世は平家のチカラが強くなっていき、源氏は落ち目だったのです。
平家から見て敵方の義朝の首は、恩賞の対象だったのですね。
そこで、
入浴中に義朝を暗殺してしまった長田さんでしたが…
平清盛亡き後、今度は源氏が勢力を盛り返しました。
そして事もあろうか、義朝の息子・頼朝が平家を倒しそうな勢いです。
頼朝から見たら、長田さんは父のカタキ。
もうダメかも! (x_x;)
と思っていた長田さんに、頼朝は優しくこういいます。
『手柄を立てれば、美濃・尾張を褒美にやろう』
長田さん、必死に頑張ります!
汚名返上のため、褒美のため、頑張りました。
そして、
壇ノ浦の戦いで平家が滅び、頼朝が上洛する時、野間を訪れました。
しかし長田さん親子は捕らえられ、頼朝から
『約束通り、美濃(身の) 尾張(終わり)をやろう』
と宣告され、松の木に磔(はりつけ)にされてしまったんですね。
↑その場所は未だに残っています。
ココで長田さん親子が磔にされました。
いかに頑張ったとはいえ、頼朝の父のカタキという汚名は拭えませんでした。
頼朝は許してくれなかったのです。
磔にされるとき、長田さんも時世の句を残します。
『ながらえし 命ばかりは 壱岐守 美濃(身の) 尾張(終わり)をば いまぞたまはり』
この長田さんの処刑について、諸説がありますが、これも歴史の1ページですね。
※ 続きを読む → 長田さん一族はその後どうなった?
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