クリスマスの話ですが、実は旦那おばあちゃんに会うのが少し怖かったんです。
それは、おばあちゃんの痴呆が進んでいると聞いたから。
誰か誰だか分からなくなるというのは私には少し怖いです。
なぜか?
それは、おばあちゃん世代には悲しいけれど差別意識がかなり残っているから。
おばあちゃんは、小さい時にそうだったことが潜在的な認識としてあり、友達や近所に色々な人種の人がいても良いと言いながらも、親類にはいて欲しくない、そういうタイプの人。
結婚する前に旦那からおばあちゃんには少し偏見があって、もしかしたら何か失礼なことを言うかもしれないと言われていました。
それは「あんたは嫌いだ!」とかではなく、無知からくる失礼な受け答えの意味でしたが、私は日本を出てから初めて日本人もマイノリティで偏見を持たれていることを知ったという浦島花子だったので、それはとても不安で旦那親族との間にガラスの壁を感じました。
おばあちゃんは、私の心配をよそにとてもフレンドリーでいろいろな事を聞いてくれました。
おばあちゃんとの関係は会うごとに仲良くなり、私もおばあちゃんに会うのは楽しみでした。
でも、そんなおばあちゃんの記憶の中の私は薄くなり、アジア人な私には変わっていたらと心配が募っていったのです。
実は旦那親族の中に1人だけ私のことを無視する人がいます。
もう、私が空気のような存在というか。
一度しか会ってはいませんが、年齢は50歳ぐらいで、私とは目も合わせませんでした。
話を戻しますが、そういう偏見がおばあちゃんに出たら辛いなと思っていました。
結局、おばあちゃんは私に失礼な態度は取らず、とてもフレンドリーに話しかけてくれました。
でもそれは私を覚えていたからで、同じくマイノリティと結婚した従兄弟の旦那さんの話をする時は眉をひそめてちょっと嫌そうにしていて残念でした。
次に会う時にはもしかしたら、彼女の記憶に私はいないかもしれない。
その時、同じような対応をされるのかな?と少し残念な気持ちもあります。
海外に住んでいると少なからず、見えない壁を感じることがありますが、どんな時も前向きに捉えていきたい。
おばあちゃんと過ごしてそんなことを思ったのでした。