疑惑の死因…… | 何気ない日常が何気なくない日常になって想う…

何気ない日常が何気なくない日常になって想う…

《つよがり》で生きた若い頃…今、少しは素直になれてる自分がいます…
2006年から始めたブログ。2015年7月癌宣告からの手術、抗がん剤、経過観察も交えながら、綴ってます。

イメージはいつでも《雨のち晴れ》枯れないように負けないように笑って咲く花になろう…

随分とご無沙汰してました

母の突然の死後
通夜、葬儀とバタバタと慌ただしくて……
独り残った父なので
週末は実家に行き、片付けるってサイクルを
毎週続けてます

題目の件
病院から提出される死亡診断書
葬儀屋さんに渡した時見ました
死因は

C型肝炎……となってた

C型肝炎……?

そんな病気に母がなってるなんて
聞いた事もありませんでした
10月の入院の時も肝臓が弱っていて
肝臓の回りに水がたまっている……と言われただけ。

水がぬけたから
血液検査もこれといって異常はないので退院となったし
最後の入院も脱水症状おこしてるし
血便が出てるから月曜日に内視鏡カメラ検査しましょう……という事でした
結局日曜夕方危篤になり
その時の先生からの説明にも
C型肝炎の名前は一切なくて……

数年前
母は大学病院で胆嚢を取る手術をしたけど
術前検査も術後検査でも肝臓がどうなんて
言われてないから
その時は肝臓には異常はなかったと思う

それから入院したのは
この病院だけ
もしかして、院内感染させられてた?
病院は隠してたのか

この病院
以前、癌だと診断したお婆さんを手術したら
癌ではなかった事がわかりお婆さんは亡くなってしまったそうで
7000万くらい賠償したという

父は
病院の理事長におばあは何で死んだんだろうか
と聞いたらしい
C型肝炎だったのだろう……との返事

もっとつっこんで聞いてくれたらよかったのに……
もっと若いなら
私達も出て病院の説明うける
でも母はもういなくて……

先生に病気治してよ、と言ったら
よっしゃ治したるって言ってくれたと
話してた母を想うと
悔しくて
虚しくて後悔もあるけれど

それでも
今でもこの病院に通い薬とかもらってる
父のこれからを考えると
このまま黙っているのがいいって
姉と考えた

母も納得してくれるよね

木曜日仕事が休みの娘は
毎週実家に行って片付けをしてくれてる
必要なものの買い物も父と行くみたいで

先週は
祭壇のお花を買いに
湯郷近くの道の駅まで行ってきたと
言うので、えらい遠出して来たんだね

父は母とよくドライブがてらきてたみたいだと……
道の駅のレストランで娘とランチして
そこもまた母と来ていた場所

道の駅にくる道すがら
父は
おばあとあそこに行った、ここにも行ったと

きっと
父は、母との想い出に浸っていたんだね
と、娘と話しながら
切なくて切なくてうるうるしてしまいました

母が元気な頃は
偉そうに文句言ってばかりの父
でもやっぱり
大切な大切な存在だったってはっきり
わかりました

できれば
母が生きてる時に優しくしてあげて欲しかったなぁ

でも
母は、父の愛をちゃんと感じていたんだろうね

独りは寂しいね

毎週行くからね

父は言ってる

入院する時は
街の大きな病院じゃないとダメだって

もちろん
みんなわかってるよ

私も
来月は術後2年半の
造影剤CT検査

また不安だけど
私、再発してる場合じゃないんです

父を支えなきゃ……

12月30日四九日法要で納骨
母はそれで
天国への階段登りきりますか……

母の二人のお母さんが
天国で待っていてくれますか

母をよろしくお願いします

私も時々これからも
母さん
母さん……って切なくなって呼んでしまいますけど

見守って下さいね