危篤……そして天国への階段 | 何気ない日常が何気なくない日常になって想う…

何気ない日常が何気なくない日常になって想う…

《つよがり》で生きた若い頃…今、少しは素直になれてる自分がいます…
2006年から始めたブログ。2015年7月癌宣告からの手術、抗がん剤、経過観察も交えながら、綴ってます。

イメージはいつでも《雨のち晴れ》枯れないように負けないように笑って咲く花になろう…

土曜日、再び入院となった母

病院くると
普通に会話してました

明日は広島からも顔みにくるから
また一緒にくるからね……

そう言って手を握って病院を後にしました
そして日曜日
広島から姉と姪がやってきて
母のベッドを囲み、

顔色も良いようだし、また年末に来るから……と
言う姪に

気をつけて帰りよ
また年末にな

そう言って私も姉達と病室をでて
夕方5時くらいには帰らないくては行けないという姉は姪の運転で広島に向かい
私も家に帰りホッとして
ほんの3時間くらいたったかな……

父から
ばあばん、悪いから
危篤じゃから……って

私は一瞬何の事だか頭真っ白
今日、昼間普通だったじゃない

姉には
また年末になって言ってたじゃない

姉に直ぐ連絡
言葉を失う姉

そして
とにかく旦那帰ってきたら
直ぐ向かうから……と

私も旦那と娘とで
病院に向かう

旦那は仕事から帰ってすぐ
ビール飲んでたので
私の運転

心の内で
大丈夫だよね
危なかったわ……って言い合えるよねって
祈った

病院つくと
母はICUに入って
心電図やら血圧系につながれていた

私達が側に行くと
わかったようで、声があまりでないようで
すまんなぁ…とかすかに言う

それから
息苦しいようでハァハァと
肩で大きく息をして
何度も寝返りを打っていた

血圧も上が
100をきっている

先生が
途中、様子をみにきて
全身をみる

その後
先生に呼ばれて最新の血液検査の結果も含め
ちょうど父はその時いなくて
私一人説明を聞く

もう足先等
色が変わってきています
肝臓も腎臓も機能してないです
人口呼吸器つけて呼吸を楽にしてあげても
もうもたないです

私はその重い言葉を呆然と
むしろ誰かよその人の事のように聞きました

病室帰って
旦那が何て言ってた?

先生の言葉を
泣きながら伝えました

そして
母はもう寝返りもしなくて
苦しそうな呼吸も落ちついているようにみえて
でも、意識はなくなり目はあいていても
私達の顔は見えてないようでした
心電図は時間と共に数字が下がり
血圧測定不能となったのですが

心電図が0になっても
手を握ったり胸を揺さぶったりすると
また上がってくる

まだまだだよ
母さん
奇跡を起こしてくれるよねって

私が中学の時
生死をさ迷うくらい具合が悪くなった時
病院のベッドでうなされていて
翌朝、回復した母
その時、夢の中で長い長い階段があって
上の方に亡くなっていた継母がいた。
そこ目指して登っていて
もう継母に手がとどく……と思ったら
継母は「あんたはまだ来んでいんや!」といって自分を突き落とした……と言っていた

今回も
母を生んでくれた母さん
育ててくれた継母さん
まだだって突き落としてよ

もう少し
下におって……と突き落として欲しいんです

でも
そのうち母の心電図は0から
上がらなくなりました

看護師さんが先生を呼び
最期を告げる事となりました

とうとう
天国への階段を登り始めたんですね

私にとって肉親の死は
初めてでした

最愛の母

こんな想いをされた方は沢山……
私なんかよりもっと若くして
最愛の人を見送られた方も沢山おられます

うちは
葬儀まで4日も日があります

眠るように穏やかに眠る母と
しばしみつめながら
想い出にふけてます

もう苦しくないよね

もうすぐ
生んでくれた母さんに会えるかな
ちょっと甘えてもいんじゃないかな

私は、とっても寂しいけど
お別れとは思いませんから

いつも母を感じています

実家の台所をのぞくと
母の背中がみえるよう

一昨日の午前中までいたんだものね

いつか私がそっちにいったら
また甘えるかもよ……

母さん
またぁ?┐('~`;)┌
ってあきれないでよ

ありがとう
母さん


安らかに……キラキラ