子育てに正解も間違いも無いのですが
私の場合はこんな感じでした

大げさに聞こえるかもしれませんが
子供を産んだのは、21歳と28歳の時
何も知らない人間でした

でも

なぜか
今でも思い出すのは
2人を産んだ時に
この人たちに教えることは何も無い
きっとこの子たちから教わることが沢山ある
そう思ったのです
これは多くの母親が無意識に感じることなのかもしれません


それから
やはり、その通り
ハイハイすれば凄い!と思い
幼稚園に行って折り紙を作ってくれば
凄い事が出来るようになったね〜と思った
のです。
野球を始めた長男は太っていて周りの子よりも球が遠くに投げられ無かったけど
私は自分もそんなに遠くに投げられなかったので、昨日より遠くに投げられる事を心の底から凄い!と言い続けました
長男は大学生まで野球を続けました

娘はお菓子しか食べないとみんなが思うほど偏食でした
でも、それでも育っているから良いと思っていました
1日100回は泣くと言われる子でした
ママ〜ママ〜とトイレまでついて来る子でした。
幼稚園に行っても直ぐに寂しくて帰って来るだろうと、家族や親戚が思ってました。
でも、幼稚園に行って自分と同い年の子を抱っこしてお世話をするのが大好きになりました。あれ?帰ってこないぞ!凄いぞ!と拍子抜けしたのを覚えています

先回りして勉強を教えることはしませんでしたが、絵本は毎晩1人2冊ずつ持ってきて寝る前に読みました
数学や英語もわからないから先生に習ったらママにも教えてと言いました
すると、何か新しい事を習うと得意になって教えてくれました。私はまた凄い!と言いました。

ママは何も知らないから教えてあげよう!
そう思っていたそうです

それは、今も変わりませんが笑笑

もちろん、あちゃーと思う失敗をする事もありました
でも、それはわたしも同じ
なので、相談されたら真剣に答えますが
基本は自分でなんとかするというスタンスでした。失敗する事は悪いことでは無いと思ってました。それは私が人一倍失敗する人間だからです。

親も間違った時は謝り
悲しい時は泣きます
子供のように遊び
好きな事をしています
親は完璧で何でも出来ると見せていません
生きるのが楽しそうだと見てくれています

バックパッカーで海外に行くと行った時も
よく、女の子1人で行かせるね、心配じゃ無いの?と、聞かれました


高校の時、カナダに留学中に
一切、連絡を取らず1年過ごしました
先生から、娘さんが大学に行かず就職もしないと言ってますがご存知ですか?と電話がありました。いえ、知りません。でも、彼女が自分で決めてそう言うならそれで良いです。
そう、答えました。先生から何度も電話をいただきましたが、それを通しました。
結果、高校からほとんどの子が進学する中で
娘はフリーターになりました。

その時も何1つ不安や不満はありませんでした。そこに至るまで自分で考え決める子に育っていたので、この人が決めた事なら応援するだけ。そんな感じでした

フリーターも辞めて仕事に疲れ
家で昼まで寝ている時もありました

その時は2人で今日はどこに遊びに行こうかとワクワクして楽しいねこんな時間があってありがたいねと言ってました


早く働きなさい。
規則正しい生活をしなさい
そんな言葉は出てきませんでした

なぜなら、私がそうしていなかったから

ゆるゆると
その時のその時間を楽しんで
子供たちが自分で決める時まで
植物がタネから目がぴょこんと出るのを見ているようにどうなるのか観察していました^_^

そうしたら
いつのまにか立派な木になっていました

そして、こんな活動を始めたと聞きました



私はまた凄いね!!と言いました
心の底から凄いと思います

泣き虫でお菓子しか食べなかった子が
料理教室の先生で子供と関わるプロジェクトに参加して何やら始まるみたいです

いつも何かと応援してもらっている
私たち家族ですが
賛同して応援を頂けたら幸いです(^^)
そして、娘を支えてくださっている
今回のプロジェクトの皆さんに心から感謝します。
長文になりました。最後まで読んでいただき
ありがとうございます。

詳しくはこちらのブログをご覧くださいね💖



能勢の古民家で始まるそうです
かまど炊きごはん❣️
長野でもいつも食べさせてもらってますが
人生で一度は食べてみたら良い感動の味❣️