不登校はこの国の集合的無意識に疑問をもっているのでは? |  なんとかなるさ

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川の流れのように


こんにちは。
子間宮みかです。





日本人の集合的無意識は何をもって
幸せと言っているのか。


多数が、
学歴があって
人から見劣らず
そつなく
人脈を持ち
普通という枠に収まっている安心を、
社会に適合していることとその価値観に依り



それらを心の安住と幸せと捉えているように
私は見えます。


学校でも職場でも、
イジメやパワハラが起こるのは、
この日本の集合的無意識によって
人からダメな奴と見られないように
人をこき下ろすことで自分の立場を保ち、
その攻撃的な人がみんなの暗黙の了解で
強いものには逆らわずに、
自分が攻撃の対象にならないように
している集まりが作られている。


一人一人良い人でも
その場に居るときは目をそらし口をつぐみ
黙認せざるを得ないような雰囲気。
恐怖が恐怖を増殖している。


それがイジメが起きているところの
ブラックな本音だと思います。




ただ、それら攻撃的な人は、
やはり家庭で親の背中を真似しているか、
親に攻撃されているのだと
思うのです。
やめたくてもやめた先の生き方を
教わってない、
そんな寂しい心の持ち主ではないでしょうか?





不登校に限らずですが、
自分の心を凍らせてまで
その恐怖に波長を合わせたくない、
もしくは、その波長にビクビクして
かっこうの標的になってしまう、
そしてそこには居たくない!と
自分を守り始める。



それは当たり前のことではないのでしょうか?



元はただほのぼの
ひだまりで笑い合っていたい、
そんな気質の人が多いのでは?
と思います。


それが世間のレッテルに
落ち込み自分の声は届かないと
諦めてしまう。引っ込んでしまう。






先に言った、
攻撃的な人が人をこき下ろすことで
その立場を築き、
それを社会適合者と
親は安堵している家庭ならば、



そこに愛はあるのだろうか?
疑問が残ります。


そこには条件を愛している親を
どこかで感じる
心が満たされない子供がいるのでは
ないでしょうか?



また逆もしかりで、
この社会の秩序に疑問を持たず
従う事を教わった親が、
子供が不登校になったりして
条件を放棄したときに、
親は子供の何を見ていたのか
気づかされます。





そしてこの恐怖が元になった
集合的無意識から出て、
本当の自分で生き、
心を解放して笑い合って生きたい!



それが不登校児や
なんとかしたいと
あがいている人達の願いなのではないかと
思うのです。




今、不登校や引きこもりの人が
増えているのは、
問題ではなく、
日本という国に住む全ての人に対する
問題提起だと私は感じるのです。




今日もお読み頂き
ありがとうございました*花*






皆さんに喜び幸せが
たくさん愛とともに降り注ぎますようにwハート☆