前回の記事は助けて欲しかった側の記事
でしたが、今回は反対の"救いたい"気持ちを
書こうと思います。
自分と向き合い続け
自分の根っこに行き着くと
結局、子供の私は親を見捨てて
先には進めない!
という本能のような感情に行き着きます。
どんなに理不尽で八つ当たりをされても
心配で心配で仕方ないのだ。
ある親は
親は生活の面では
不自由なく暮らせる能力を持っているかも
しれない。
資産運用、税金、老後の貯蓄・・・
抜かりない人生設計を歩んでいても
子供がそんな親なのに心配するのは
幸せそうじゃない、いつも不満を抱えて
わめき散らす その満たされない叫びを
汲んでいるからだ。
何のためにこの世に生まれてきたの?
本当は生活が出来れば十分ではなく
愛や温かさといったものが
人には必要だって自分が親に欲している
からこそ分かるからだ。
時折見せる虚しさを感じた目、
生活を見事こなし安泰という外見を
達成することで幸せだと思い込もうと
している意図も見透かしてしまう。
虚ろに支配された人生に
もっともっと根本的な沸き上がるような
幸せを感じて欲しい!と親の幸せを願い、
助けたい❗が心に宿る。
だってその為に私は生まれてきたのだから❗
究極、そこまで子供は潜在意識で
親を思ってしまう。
子供の私を思うより
自分だけで精一杯なんだね、
とその虚しさを感じる親の目を見て
自分をどこかに置き去りにしてしまう。
そして自分が動けなくなり
それがいつしか心配➡親へ執着している
自分の課題となってしまう。
なぜそこまでして助けたいか、
遠い日、親の心の捌け口にされたり
世間体という生活を脅かさないで!と
枠にはめられたり、
自分の痛みと同時に
親の満たされない悲しみまでも
刻み付けてしまったからだ。
理不尽だと分かっていても。
それでも。
だこからこそ
親と子の問題は拗れる。
親はなぜ困らせる?
と聞き
子供は潜在意識では
助けてあげれない罪悪感に
身動きが出来ずもがいているからだ。
幸せにしたいと願ったはずなのに
責められ自分の存在が
親の重荷の要因になってしまう。
"親が幸せになったら私も幸せ"
救いたいと思う気持ちは本物だろうか?
借りに親が幸せになり
もう大丈夫と笑顔を見せたら
自分の道を歩き出せる?
自分を傷つけてても親と一緒にいたかった
この本音が隠されていたら
孤独が更にリアルになって襲ってくるだろう。
共に依存しあって
満たされながら個と個になっていく
そんな健全な繋がりを逃してきたばかりに
この過程を"心配する繋がりかた"で
補っていたのだ。
親を救うより
まず自分を救おう。
その言葉を理解しても
体や思考がワナワナするようだったら
心理セラピーを体験してほしい。
静岡県富士市・三島
カウンセリング・心理セラピー
8月の日程❤
8/2(水)
8/9(水)
8/21(月)
8/28(月)
富士市の会場➡13:00~。
三島市の会場平日➡10~16時の間で対応。
HPコメント欄に希望会場と第2希望までを
お書きください。

