自分の人生から逃げない覚悟 |  なんとかなるさ

 なんとかなるさ

川の流れのように

静岡県東部(富士市)
リトリーブサイコセラピー
心理セラピスト
子間宮みか ですピンク薔薇



半月程前の親戚の葬儀の時に
父から私の長女へ

「女はな、名前の知れた会社に
勤めている人を結婚相手に選べと
言っておけ。
それが女の幸せなんだ!
俺の言っている事は間違いない。」


言いきったよねしょんぼり


で一昨日、
主人から葬儀の時に私の兄と会話して
兄の職場が変わると聞いたそうな。

主人は知っていると
思っていたらしいが
私、初耳。

しかも私の主人の働く企業の派遣。
主人の職場とは違うところなんだけどね。


父の長女へのあの伝言と
兄の話を考えると

・・・

ん?真顔



あまり人ん家の事
考えないようにしよっとねー


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さて、今回も
私の勉強にお付き合い頂けると
嬉しいです。

本:回避性愛着障害 
岡田尊司さんの本より
抜粋して掲載します。


[回避の克服 ※ユングの場合] より


回避を脱する上で鍵を握るのは
自分が問題から逃げていることに気づき
もう逃げないと覚悟を決めることである。立ちはだかっている課題に向かって
いこうと決心することである。


 
カール ユングは少年の頃
「発達障害」「自閉症スペクトラム」
という診断を受けるようなタイプの子供だった。

引っ込み思案で不安の強い傾向には
遺伝要因だけでなく、養育環境の影響もあっただろう。

母親は不安定な人で、
近寄りがたさを覚え、
父親も浮世離れした回避型の人物で
父親にも母親にも、安心出来る関係を持つことができなかった。


村の小学校では優等生だったが
10才で入った町の秀才ぞろいの学校では
平凡な生徒でしかなかった。
教師たちも劣等生扱いし、
ユングのプライドはズタズタになった。

12才の時、他の生徒に突き飛ばされた拍子に、歩道の縁石で頭を打ち意識を失った。その瞬間、もう学校に行かなくて済むという考えが駆け抜けたという。

以来、意識を失っては倒れるという
発作を繰り返すようになった。
発作が起きるのは必ず面倒な課題を課せられた時だった。

この発作は、かつてはヒステリーと
呼ばれ、今日では転換症状と呼ばれ
心的ストレスから逃れようとするものである。つまり「疾病利得」を得るのである。

両親は学校を休ませることにした。
彼は誰にも邪魔されず、好きな遊びや読書し、漫画を書き、空想にふけって時間を
過ごせる身分となったにもかかわらず、
ユング少年の気持ちは晴れなかった。

これについてユングは「自分から逃げていることに何となく気付いていたのだ」と
自伝の中で語っている。

・・・・

父親が訪問客に「もし医者が言うような
病気なら、あの子はもう自活することもないだろう」と聞いたとき、自分の未来が閉ざされてしまうかもしれないという
危機感を抱いた。

その後身を入れて勉強しはじめた。
10分後失神発作があった。
椅子からもう少しで落ちるところだった。だが、何分も経たないうちに再び気分が良くなって勉強を続けた。

二度目、三度目の発作も屈服せず勉強した。事実、発作はもう二度と繰り返されなかった。
2週間後再び登校するようになった。
学校でも発作に襲われることはなかった。魔法はすっかり溶けた。


ユングがこのままでいいのかと
自分の心に問いかけ、自分の人生から逃げないという覚悟を決めた時
回復の瞬間は訪れたのである。

そして自身の経験からユングは精神的な症状が、苦しみに向き合うのから逃げる事で起きるという事、その苦しみに向き合うしか心の克服はないということを学んだのである。


(※ カール・グスタフ・ユング
スイスの精神科医・心理学者。
深層心理について研究し、分析心理学(通称・ユング心理学)を創始した。)

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よく、心理セラピーを受けて
変われる人と、変われない人の違いは、
この覚悟があるか、それともセラピストに
変えてもらおうとするのか
その違いが指摘されますね。

背負いきれない程の苦しみ、
それも分かります。

それを話す過程も必要で
癒す過程も必要です。

けれど最終的には
本人の「自分の人生から逃げない覚悟」
なんですねひらめき電球


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