愛情をくれないのなら金をくれ! |  なんとかなるさ

 なんとかなるさ

川の流れのように

静岡県東部(富士市)
リトリーブサイコセラピー 
心理セラピスト
子間宮みか ですコスモス



ひと昔のドラマで親に
「金くれよ、金!!」
と荒れるシーンがありましたが

高校生の時に友達から
夜遊びに誘われたり
遊びほうけていた時には
「お金ちょうだい」と
せびっていました。



大人になってからは
何にも愛情をくれないのだから
結婚道具一式を買うとき

良いものを買って!
とわざと高いものをねだったことが
ありました。

拗ねていたのをよく覚えています汗




お金と愛情を天秤にかける


それは親が愛情の変わりに
心をお金というものではかり
それを追い求め第一にしてる
と捉えているのが分かり



子供の心を見ずに
いや、子供の心が瀕死状態だと
分かっているのに

それを乗り越えるのが
自立だと見て見ぬふり。


それは実は親自身が
自分の心・子供の心と
向きあいたくなくて
自分の心を捨てて
世間の価値観に沿えば幸せに
見える

そんな生き方をしているのが
分かるからでした。


子供は本能を満たす
"愛情"をくれないのなら
その価値観(お金)でもいい
何かよこせ!私を満たせ!

「愛情をくれないのなら金をくれ!」

と飢餓状態になっているのだと思います。



クローバー


今日なぜこんな記事を書こうかと
思ったのか、


実は最近まで
私、お金への執着が
ちゃらんぽらんだったのですポーン


「金は天下の回りもの」
と言えば聞こえがいいけれど

しょうがなく
なんとなく生きていくのに
主人も稼いでくれ
あるから使う
ないなら我慢する


そんな風に使っていました。


それはそうでしょう、
生きることにただ流され
消極的で
なんとなく生きて
自分が何をして生きていきたいか
わからなかったのだもの。


それがボヤーッとしていたものに
最近輪郭が出来、
少しずつはっきりしてきています。
少しずつ生きる楽しみが
揺り起こされています。



お金はエネルギーとよく聞くけれど


今はやりたいことが出来
それを叶えたいというツールに
お金に価値観を見いだせている。


ありがたいと思っているし
もっと引き寄せたいと思っている。
(なんせ東京まで交通費が一万かかるので)


ありがたい、なんて
考えた事がなかったなー。

あればラッキー♪
と思っていた。


そんなこんな考えていたら
今、娘の塾代や夏期合宿代、
次々に壊れる電化製品の買い替えなど
お金がいるときに
自分のやりたいことをしたい!と
いうエネルギーを止められず

その為に工面する自分の姿に
やりたいことがあるって
生きたいということ、


今、その為に色んな事を生活の中で
学んでいるんだな~と
思うようになりました。


お金に対する感覚って
生きていく事に対しての
実感度や執着に
大きく関わっているのですね。




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