脳内母親から自分を私の手に取り戻す |  なんとかなるさ

 なんとかなるさ

川の流れのように

静岡県東部(富士市)
リトリーブサイコセラピー
心理セラピスト
子間宮みか  です四つ葉



最近「出来る私」を
手にしても  いいよ、と
自分に許可が出来
ザワザワしなく
なってきました。


以前なら
私が出来ることで
相手がひがんだり
自信を無くし落ち込む姿に

とてもとても反応していました。


母の「出来ないことは許されない」 
これは
私が元々持つ気質に合わないものでした。

母の生き方は
幼少期から私を精神がギリギリになる
ところまで追い詰めました。
出来ないと怒る・叱る・冷たく見放す


そしていつしか反抗的決断から
母の自慢となるような
見栄ばかりのための道具になんか
なるものか!


と、ダメでいることを自ら選び
ざまーみろ
と復讐していました(無意識に)


そして家の外の世界では
自分が出来ることで
競争心を持たれることや
叩かれること、

自尊心を傷付けないでと
相手が一瞬見せる顔、
それに対する罪悪感


など私の生き辛い原因の一つ
になりました。


そして"出来ない私"が不本意ながら
居心地が良い場所になりました。

そもそもが"存在してはいけない"
ビリーフを持っていて
ただでさえ傷つかずに
生きたいと願っているのに
迷惑な存在になって人に反応されたくない
と思っていました。




それがリトリーブサイコセラピーで
親との境界線が引け
インナーチャイルドも
愛しい存在になり


少しずつ
少しずつ
小さな成功体験を積んでいき


時にはドライバーを利かして
出来る私になってもいい

私が出来ることで
他の人が気落ちしても
それはその人の問題、
(イヤな気持ちにさせてごめんなさいと
自分の存在を責めていた)


と出来る私を
受け入れるようになってきました。



あー、母はここを通過していたんだ、
でもダメな自分を受け入れる事を
許さなかった為に
ストイックな場所に行きすぎた。


でも母の「出来る私でなければいけない」
の良いところだけ
もらっていこう、受け継いでいこう。


そうその部分に
努力をし続ける姿を見せてくれた事に
ありがとう
と思えるようになりました。


あれだけイヤだった
母のストイックな人を押し退けて
優越感にする生き方、


それを優越感ではなく
自分自身を育てていく
「出来たねー、良く出来たねー」と、
赤ちゃんから褒めて育てる
ような感覚に変換しました。


画像お借りしました。

↑こんな感じの自分育て。


対、人ではない。

そもそもが人との比べ合いだと
やることが同じでもイヤになる。

そこに敏感だったのでしょう。



これは脳内のジャッジする母の手から
私自身を私の手で育てている
に ちゃんとシフトチェンジ出来たから
なのかな、と思っています。


自分を私に取り戻そうクローバー


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