お母さんという経験 |  なんとかなるさ

 なんとかなるさ

川の流れのように

静岡県東部(富士市)
リトリーブサイコセラピー
心理セラピスト
子間宮みか ですピンク薔薇



昨日は二校目の長女の高校体一日験入学
でした。

前回は送り迎えのみでしたが
今回は本命校なので同席しました。

ぞろぞろ保護者の列に並んで
移動していく中で
"お母さんという経験"
をしているんだな~

と、いつの間にか人の親として
当たり前に過ごしている自分に
喜びを感じました。



はじめての子供で
自分を「ママ」と
呼ぶことも出来なかったあの頃。

「産むだけで母親になれない」
「どうすれば本当の
 母親になれるのだろう」

子供にさえ、心の接し方が
ぎこちなかった日々。


幼稚園に上がる前に園が解放される
未就園児の遊び場で

他の子が母親に「ママ」と呼ぶのを
聞いた長女が「ママ?」と不思議がり
あなたのママはこのママだよ、と
その子に教わりあせる
そこから長女は「ママ」と私を
呼ぶようになりました。


その「ママ」という言葉も受けとるのに
ゴクンゴクンと無理矢理飲み込んで
慣らしていきました。


私の存在は母親として
この子を満たしているだろうか?

この子の母親が私で幸せだろうか?


考えてもしょうがないような事を
考えていました。


ご飯を食べさせ
遊びに外に出て
お昼寝させて
お風呂にいれて
寝付かせて
・・・

お世話をしながら
「絆」となる情は
どうやって与えるのだろう?
といつも不安でした。

私自身が母親に絆を感じられず
心が満たされる事に飢えていたので
カラッカラの心から
与えるものが何もない・・・
と思っていたのです。


それでも主人の助けや
主人の両親の助けで
子供達の母親を拙いながら
やってこれた。


高校に一日体験をしに行き
歩く娘の後ろ姿を見て
ひとつひとつ私から手が
離れていっているのかな~
と、感慨深いものがありました。


母親って少しずつ手を離して
そっと見守るものなのかな、
その時は心が繋がるしかない。


いつでも「見てて!」
と挑戦し自分で成長するのを
見てもらえる(出来ても出来なくても)
それが子供の安心安全で
母と子の絆なのかも
と思いました。


画像お借りしました。

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