リトリーブサイコセラピー
心理セラピスト
子間宮みか です

昨日のカズ姐さんのブログを読んで
カズ姐さんの講座に通っている時、
悶絶していたな~と
あの頃の自分が懐かしいと
思ってしまいました。
親の事、愛されてない(と思っていた事)
事をいつも恨んでいました。
どうして神様は
母性を求める本能を与えたの!
なぜこの感情は
私を脅し怯えさせ惨めにさせるの!
どうしても拒絶しても絶望しても
心の中に親にこだわっている私がいました

17才の時、
引きこもり過食で20キロ近く太りました。
なぜか過食に困らない
大量なパンやら菓子を嬉々と
補充する母に
これも母親の愛情なのか?
と、困惑する。
それでも苦しみに
一ミリも寄り添ってくれない
世間体が第一の母に何かを言えば
「親に楯突くだなんて

すぐ怒り
毎朝、引きずってでも学校に行かそうと
する母親と扉を開けられないように
バトル。罵声が飛ぶ。
それでも母親なら・・・
と母性を信じたい
作戦だとわかりながら
優しい言葉を信じてみようと
「学校に行く」
とすごい勇気を出したのに
太ってホックが届かなくなった
スカートを太いゴムで母が留めてくれた
時に「ぷぷっ」と
笑いをこらえなくなった母。
一瞬で信じてしまったことを
後悔し青冷めた。
母は日頃 父に「デブ」「豚みたいだ」
と容姿をけなされていた。
まさか自分の優越感の為に
太っていく私を分かりなから
食べ物を補充し続けたのだろうか。
そうだとしたら
あまりにも残酷だ
・・・
私の人生は母の思うように
ただこの体を運べばいいんだ
そうやって自分の体にも
自分の心の居場所がなく
無気力なまま笑うという感情もなくし
学校でも家でも
惨めな自分をこれ以上見ないように
一人でいられる場所を探した。
そしてまた学校に行けなくなり
母が働きに家を出ると
食べ物を口に入れ続ける
こんな日が続き
私は壊れた
数年前か母の日に父と送った
ブラウスがかけてあるのを
ボーッと眺めていた。
すると
こんなに思っても
母はブラウスという物しか
受け取らない!
気持ちはいつもゴミのように
拾われることはなかった
ものすごい憎しみが駆け巡り
母を殺 したい
めちゃくちゃに全部無くしたい
そんな衝動に刈られた
体から憎しみという狂気が暴れ出て
残ったわずかな理性で
母の変わりに
このブラウスをめちゃくちゃに
しないと本当に母を殺 してしまう!
大きなハサミを持ち出して
ブラウスをさき
それでも足りずに
母のタンスの中の服を
化け物と化した私は発狂しながら
裂き続けた
それでも足りずに
台所を水浸しにした。
私は小さな鳥籠の中に飼い慣らされ
そのくせ体裁を保つために
外に普通の子のように出なさい
と自分が道具のように思えた。
我慢が限度を超えた。
だから
ニュースで見る
少女が親を殺 めてしまう
気持ちが分かる
そうなるまでに
少女達は心を
抹 殺されてきたのだから。
この気持ちを留め
人間として何が善か悪か
親が子を思う気持ちを疑い、
自分の命のルーツを疑う、
これは自分の存在を否定すると
いうことだ。
その答えを委ねるのは
もはや天しかなかった
親が言う
「神様が見ているんだからね!」
それを自分に向けたらどうだ、
と言ってやりたかった。
子供が親の傘下から飛び出す
それが裸足でもボロボロな姿でも
私はそうやって
自分と向き合う事を選んだ人の
心の強さを美しいと思う。
たとえ笑い顔がひきつっても
身体中が神経質にびくついてても
ただずっと泣いていても
自分をどうにかしたいと決めた
その勇気を素晴らしいと思う。
それは、母と言う恐怖のなかに
いる方がある意味 楽で
そこから出ようとすることは
ガクブルしながら
いったんは孤独な自分を
選ぶということだから。
勇気を出す人を
神様は見捨てない。
心の自由を獲得するには
小さな一歩から

詳しくはこちらまで
