ありのままを愛して |  なんとかなるさ

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川の流れのように

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心理セラピスト修行中
 こ ま みや
子間宮みかです桜




                             画像お借りしました


以前、母に手紙を書きました。

内容は
「ありのままの私でいいと
認めてほしい」




8年位前に病院に行かなかったので
診断は受けませんでしたが
うつ病のような症状で数年過ごし
その数年後に書いた母親への手紙です。


鬱状態は長男(第三子)が生まれ
1年経つか経たないか
そんな時期でした。
3日のうち2日寝込んでやっと1日
動ける、そんな日々でした。


次女は負けず嫌いで
弟が産まれたことによって
更にわがままや癇癪を
怒りで気持ちをあらわす子でした。


鬱状態になる前には
「こんなに私の母親のような
ヒステリックに押さえつけ
従わせようとしていないのに
どうしてここまでワガママを
突き通せるの?」


と、すぐヒステリックになる母親の
何十倍も我慢して我慢して
爆発してしまっていました。

いつも張り合っていた
母親像。
あんたみたいな母親にはならない
と恨んでいたんでしょう。




主人は3交代勤務で
いない時のこと。

長女がずるいと言い
ワガママを言う次女。
諭しても叱っても
自分のワガママ意志を曲げない。


手を上げたら母親と同じになってしまう。
怒りを自分に向け
自分の頭や足を殴ったりして
発散していました。
病んでましたね~(*_*;


それでもダミ声でひっくり返って
テーブルを蹴り、
カーペットはぐちゃぐちゃ。
泣き叫ぶ次女に我を忘れそうになって
近くに住む義母さんに
「助けてください」と
電話して来てもらったこともありました。



昼間も
公園にも知り合いに会うのが怖くて
(鬱になったのは長女の幼稚園ママさん
との関係がきっかけ)
人気のいない少し離れた公園に
3日のうちの体が動く1日
次女の希望に
やっと応えることが出来、行けました。


そんな日々を確か2年くらい過ごし
(あまり記憶がない)
その間は主人が頑張ってくれ
いない時は幼児テレビにお世話に
なりました。


復活するに至っては
スピリチュアルな出来事や
ひまし油温布、洗腸、自己流ヨガ、
心理カウンセリングなどで徐々に
復活していきました。




先頭に書いた母への手紙ですが、
結局、その後手紙の事をスルーして
電話してきた母と大喧嘩して
私の方から縁を切りました。
(その後数回、父親と一緒にうちに来るが
うやむやにしたいのが見えるので
話はしてない)



手紙の中に
「たとえ私がうつ病でも 
たとえ私に友達がいなくなっても
たとえ世間に冷たくされても
出来ても出来なくても
・・・
ありのままの私でいいと
思ってくれますか?」


といった内容でしたが、 
カズ姐さんの講座で
勉強した今なら分かりますが

母親はバリバリのドライバーの
持ち主で
「一生懸命頑張らなければならない
人に負けてはならない」
があって


出来ない人の気持ちがわからなく、
一生懸命頑張らないと、周りから賛辞や
承認が得られない。
それらがない自分は存在意義を得られない。


私の手紙に書かれた内容、
そんな私を認める事は
死ぬほど辛い

「なんにもない私は
愛されないに違いない」

を見る事になるので
一番見たくない聞きたくない
事だったんでしょう。



そんな母の元に生まれ
次女という個性に出会い
カズ姐さんの講座を受け、
セラピストの木村貴子さん
個人セッションをしてもらい

出来ても出来なくても
ありのままの私でいい

を受け入れる事が
出来ました。



次女はね、きっと
母の
「ありのままでは生きてはいけない」
と偏った価値観と正反対の偏り
「ありのままワガママな私を認めて!」
を見せてくれたんだと思う。


嵐の真っ只中では
なんで家系の負の連鎖を
私が解決する役目なんだ!
と憤慨していました。


でも次女という存在がいないと
家系の負の連鎖を子供達に渡してしまい
母の価値観をこなせない私を私は
無意識のうちに
ずっと責め、怒りを溜め、
どうかなっていたのかもしれないです。



次女のありのまま

私が母に言った
私がありのままで言いと認めてほしい。


を、どれだけ次女に
してあげているだろうか?


今は世間の常識
という誰もが慣れ親しんだ価値観に
合わせるとかいうそんな
尺度ではなく
彼女が愛されているんだと
彼女自身認められるよう
条件付きではない愛情を
私と子供達とで見つけて行きたいです





今日は一年に一回の家族との花見でした桜