ポエムを聞いて トラウマを思い出す |  なんとかなるさ

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 こ ま みや
子間宮みかです音譜





昨日、テレビでポエムを
放送していました。






虹**********************************

「あのねっ、」
「それでねっ、」

って楽しそうに話す君が無性に可愛い
             by 猫とろさん
***********************************虹


ぽわ~んとしますよねぇ




しますよねぇ、ほんとに。






きっと。



ええ、きっと汗(引いていく;)))






引いてしまったのには
訳があります。


「あのねっ、」
「それでねっ、」
を可愛いと思って
もらえなかった小さい頃の記憶が
甦ったからです。



それはたしか小学校に入学した頃
学校での出来事を
夜勤帰りの父に聞いてもらいたくて
子犬が嬉しくてキャンキャン
跳び跳ねるように


「あのねっ、」
「それでねっ、」

と話をしたら


「ねっ」ってなんだ!

(話を続ける私)

だから「ねっ」ってなんだ!



はじめは嬉しい気持ちを
共有してほしい勢いで
そんな言葉も耳に入らなくて
喋っていたのですが

くせになっていたのか
「あのねっ、」が出て


その度に
「ねっ」を付けるな!


と、内容に行き着く前に
結局話が出来ずに諦めた思い出。


父に対してブスーっと
冷めた目をした私がました。



あの時はただ
そうかそうか、と
私が嬉しかったことを
一緒に喜んでほしかった
だけだったんだよな~。



親の目線と
子供の目線 
温度差がありますよねぇ。




大人になって
親の境遇(母親を7才で亡くしてる)や事情、将来困るだろうと心配からの
言葉だと分かり
汲もうとおもってしまいますが


子供の時の目線から見れば
冷たく否定された
としか残らず



そんなコミニュケーションが
パターン化していたら
子どもはどういう思い込みを
もった子に育つと思いますか?



親の事情や境遇を自分に言い聞かせ
親には感謝しなきゃ親不孝者に
なってしまう、と理想の子供像を演じ


飲み込んだ感情


それが真っ黒い
塊になってやがて
我が身を炙りはじめる


その怒り悲しみ
誰も寄り添ってもらえなかった恐怖
ずっと抱えているよね



セッションで"怒り出し"と言って、
親への怒りを出す
(クッションを叩きながら)
というのがあるのですが


「親が可哀想になって出来ない」


と怒りを出すことをやめてしまう
シーンをよく見ました。


私もはじめてのセッション
(オープンセッションだった)
カズ姐さんにセッションを
してもらった時がそうでした。


その時は親がそうなった事情を
説明していたのですが汗
カズ姐さんに


「そうやって説明ばかりするけれど
私はあなたが、どう思って
あなたどう感じているのか
それを聞いているんです!」

と一喝され


「わたし、・・・?
 わたし、・・・」 

しばらくこの言葉を繰り返し
今、私がどう感じているのか、
それだけを見ると


「わたしは、腹が立つ・・・
 私は、悲しい・・・
 私は、悔しい・・・
 私は苦しみを与え理解しようとしない
 両親をぶちのめしたい程憎んでいる!
 うわー!!ドンッ


と、クッションをぶちのめしました。
(怒りだしをして、いったん
おさまったタイミングがあったけれど、
お腹の中からポコポコ怒りが沸いてくる
のを感じてカズ姐さんに言うと
ぞんぶんに出しぃ、と
許可を得てその後もクッションに
怒りだしをさせてもらいました。)



40何年もの間、
愛されないには親にも事情があったから
しょうがなかったのだ、


と自分を納得させて諦めて
怒りを抑えていたけれど


本当は私はこんなに腹が立って
悲しくて、悔しくて・・・


そんな自分を分かってあげてなくて
自分よ、ごめん!
と思いました。


自分を自分が分かってあげる


これが欠けて育ってきたんですね。
これも親への愛情と罪悪感が
絡んでのことだから解決法を知らなく
育ってきたからしょうがないのですが。



怒り出しは親を傷つける、
直談判することではありません。
安心安全の中
自分の抑圧していた感情を出すことに
意味があります。



自分の感情を大切にしていますか?チューリップピンク