潜在意識:子供の魂は犠牲的愛をもしてしまう |  なんとかなるさ

 なんとかなるさ

川の流れのように


生き辛さから脱出中
みかですキラキラ




カズ姐さんのセラピュー講座時に
「あなたは家系の連鎖を断ち切る
お役目がある、わかってるよね?」

と言われた事があります。


****昔を回想中****


祖父の母親(曾祖母)と私は
幼少期に会ったことがあります。

床にふせっている
曾祖母のところへ
私の母がお見舞いに行き
一緒にいました。

お見舞いと言っても
看病の代わりの人が来るまでの半日近く。
子供の私はつまらなくて
「早く帰ろう」を連呼して
母にそんな事を言ったら
曾祖母に悪いと

「この子は頑固で困る」と
私の事を言っていたのですが
曾祖母が澄んだ瞳で

「いや、この子はいい子だよ」

と言ってくれたことを覚えています。

今も覚えているという事は
魂にしっかり刻まれた出来事だったの
でしょう。

曾祖母の顔とかまったく覚えていない
のですが、その認めてくれた思いは
しっかりと残っていて
私の中で「曾祖母大好き」が
心にホッコリと佇んでいます。



祖父を養子に出した曾祖母。
言うに言われぬ理由があったと思います。
祖父に養子に出された事を
恨まれていたと
曾祖母も知っていたよう。


その仕方がなかったとはいえ
うしようもない中から出来てしまった
苦しみの連鎖を
どうにか止める
それを曾祖母からすまないね、と
託されているようにも
なぜか感じます。


幼少期から叩かれて愛情という
暖かさはもらえなかったけれど
衣食住の"お世話"はしてもらった。
けれど子供らしい野生児の私は
母の"憎むべき憎悪"の対象だったよう。
(女の子として自分が止められてきた事を
やられるので怒りが倍増)


ヒステリーと折檻。
小学校に上がってからは

お母さん、
出来る出来ないじゃなく私の心を見て。》

と、母の望む勉強の出来る、
お行儀の良い子にはならない
と頑なに拒んだ。

それは言い変えればずっと
心を見てくれる事を待っていた。

そう、いつか心を見てくれると
私は待っていた。

 

以前の記事で 
出来ないでいることを選択してしまう、

その事が母への復讐と書きましたが
それ➕
私の心を見て!

と、またもう1つ、
お母さんへのメッセージ
があるんじゃないか、
と気付いた。



それは



条件付きじゃなくて
存在している
それだけで
お母さんは
素晴らしいんだよ



お母さんは居るだけでいいんだよ
これを私は伝えたいのと
自分の心の学びとして
この世に母を選んでやってきたのかも
しれない。たぶん


でも魂の目論見とはかけ離れ
分かってもらえなかったね。


子供はちゃんと愛を知っている。
親に分かってもらえなかったけれど
親の生きずらさからくる
心に背を向けた利己主義に
迎合しなくても


愛が元になった
自らの命を大切に生きれる道
人は選べる


それを諦めずに選んで
ここにいることを
褒めてあげようニコニコ



神様を信じていた。
どんな辛い出来事・出口が
見つからなくても
答えを用意してくれるはずだって。



子供の魂は犠牲的愛をもしてしまう
かもしれない。
けれどもそんな優しさで
潰れる程の無条件の愛を知っている
のだったら、 


自分が幸せに一人の人間として自立し
境界線を持ち、
心から笑い生きることが
集合無意識でいつか親が
知ることになるかもしれない。
それも大きな無条件の愛のひとつに
違いない。


セラピーはそれが出来る。
自分がそれを体験して
地につく絶望感も助かるんだと
この世にセラピーがあること
教えてくれる師や仲間がいることに
感謝しきれない。


セラピーを
魂の学びとして習得していきたい。
ライフワークとして生きて行きたい。




存在しているだけで
素晴らしい存在ラブラブ