出来ない自分でいる理由➡母への復讐 |  なんとかなるさ

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川の流れのように



こんばんは 美香ですキラキラ


前回の記事

カズ姐さんのオープンセッションでの
「出来ない自分でいる理由」
捕捉&続きを書き留めます。


親が低い自己肯定感を満足させる為に
子供の私をダメな子にすることで
自分の居場所を得ていた。


言い替えると
そこに私の居場所が出来上がった。
嫌だと言えば押さえつけられ
反論は出来ない。


反抗期を迎えるまで
親の顔色を見、
機嫌を取り、
「良い子」でした。
いい子でいればうるさく
言われ続けられない。
それが二次利得でした。



私には兄がいます。

でも父は兄に自分の苦労話を聞かそうとは
していませんでした。
母も兄には不満の八つ当たりはしません
でした。


大人(独身時)になってから母と
親子と言うより同性同士の話を
しているような感じの時に

会話のなかでふと母が
「自分の子供でも、男の子は同性の女の子より可愛いよね?」
と同意を得るように話した事が
ありました。

ん~どんだけ受け止めてもらいたいんだ
思いました。
その言葉だけでも兄と私への
対応が違かった事がわかります。



同性の私を八つ当たりしていい理由、
たぶん男尊女卑の母の育った環境も
あると思います。


小さい頃、兄と私とで
祖父母の家にお泊まりをした事が
ありました。

近くの駄菓子屋さんに
兄と買い物に行って
前日雨だったため泥道を通りました。

二人とも靴が泥まみれ雨スポーツ


祖父母の家に着くと
「みかむかっなんだこの靴はむかっむかっむかっ
と祖父にドヤサレました。

兄も泥まみれだったので
お兄ちゃんだって同じじゃん!」
と言うと

「お前は女の子だろ!むかっ
なんだこの靴はむかっ
それに女の子なのに
口答えまでして!むかっむかっ


とものすごく怒られました。
それでも納得がいかずギャーギャー
泣いていると祖母がまぁまぁ、と
祖父との間に入ってくれました。

そんな祖父に母は
「女の子だから」
「おしとやかに」
と育てられたのでは?と
想像が付きます。


しかも怒られた事は一回だけ
と言っていた母は
「よく出来る子」だったのでしょう。

7人兄弟の中の女の子一人。


その中で「女の子だから」
と理由で高校進学もするな、
と言われ、土下座をしてどうにか
昼は働くから定時制の学校に通わせてと
頼み、その時にはじめて殴られたそう。


それだけで終わっていたら
向上心があって努力家な
美談で幸せを掴む良い話なのですが



ナゾの人女の子というだけで価値がない
と見られている。
ありのままの自分には価値がない。

そんな満たされてない思いが燻り
価値観を肩書きお金を父(祖父)のように
努力して得れば認めてもらえる。

認めてもらう事は私(母)が
生まれてきてよかったと認めてもらう事、自分も自分をそう思える事。

となってしまったよう。


祖父は
養子に出され大家さんに認められる為に
働き者となり、結婚してからは
大家さんの隣の敷地をわけてもらい
家を建て夫婦で田畑の土地を広げ
その地域では働き者で名が知れていた
そんな人でした。




あしあと母の子育て

私の兄は小学生の頃から
少年野球で両親から期待され

塾は進学塾に通わされ
(たしか1年位で泣いて嫌がり辞めた)

中学の時に野球部に入ったけれど
上下関係の厳しさに挫折し退部。

父と母の根性ない!という声と、
子供の挫折を世間的に恥ずかしく想ってる
人の目を気にした母の惨めな顔。

兄の大学受験も
母の気合い入る応援のもと
大学を何校も受けるが失敗


兄、25歳位の時に
足に難病と言われた骨の病気になり
手術をするが、松葉杖をついた兄を見て
「あんたはもう障害者なんだから」
と切り捨てたような冷たい視線で
言い放ち兄は「なんだとー!」と憤慨。
(障害あるなしは存在の価値には関係なし!と母に私は抗議した)




それでも思い直した?のか
「足が悪くても医療事務の試験を受け
医療事務員になりなさい」
とその肩書きがほしいしか私には
見えなかったが、強制的に兄を説得し
受けさせるがやる気がないので
受からず。


そんな姿を見ていたので
子供=親の肩書きの為の道具
と思っているようにしか見えなく、
 

私は小さい頃から
やりたくないものはやりたくない
といくら八つ当たりや折檻をされても
頑固で思い通りにならなかったので
期待されずwww



その頃から
お前の望む肩書きを
やるもんか!!
と反抗的決断+出来ないことで
復讐
をしていたようです汗


だから結婚や夫婦ってなんだろう?と
悩んでいた独身時代に
「お母さんも孫の顔が見たい!」
と世間的に幸せなおばあちゃんになる
という肩書きがほしいのか、
ドン引きし

私は私が望む幸せとは?を考えている
時に、なんであんたの幸せを言われなきゃ
ならんの?と不信がつのる。


それから縁あって今の旦那と結婚し
長女が生まれ首が座った頃、
兄の結婚式があり、親戚が集まるなか
私から長女を奪い
親戚の伯父さん方から
「もうおばあちゃんだな~」と
言われて
「やだ~ドキドキおばあちゃんだなんて
いわないでぇ~ドキドキ



を聞いた時、
むかっむかっヘドが出るかと思ったよ!ムキーむかっむかっむかっむかっ


私の幸せを
私の心を置き去りにしたまま
分かち合う事なく

あんたの幸せは自分のもの」
と、ジャイアンのように
奪っていく。


それが悔しくて悲しい。
愛情を求めても手に入らない。

ただぬくもりや
慈しむ眼差しを感じたかった
ただ
それだけだった。



だから私は
出来ない自分でもいい
と自分に母と反対の許しを与えた。


でもオープンセッションで
その言葉の意味には
親への復讐心が籠っている
ことが分かった滝汗



出来てしまうと
母に見栄と虚栄という名のエサを
与えてしまう。


だから無意識に
(出来てはいけないけれど)
出来ない自分でもいい
を選択してた。


それを私は子供に愛情として
伝えていた。
今思うと
虚ろに生きる気力が籠らない眼差しで
伝えていたと思う。


出来ても良い
出来なくても良い
ありのままの
あなた(私)で良い




この言葉には
キラキラ可能性キラキラ
が、どこまでもどこまでも
広がっている。


これをちゃんと私は掴んで
子供達に伝えようラブラブ



富士山本宮浅間神社にて
大祓いの申し込みをしてきました富士山