子供達に伝えたこと |  なんとかなるさ

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川の流れのように

おはようございます✨
みかです音符


なかなかブログを書く時間が
ありませんあせる
今日は少しだけの投稿ほっこり


12/19に⭐カズ姐さんのプロコースで
オープンセッションをカズ姐さんに
してもらいました。
(その時のカズ姐さんのブログ➡)


その時に家族配置で現状を
見させてもらい
まだクリアしてない問題はありますが
日が経つにつれ
深々と理解が進んでいる感じです。





オープンセッションで
私は親の親代わりをしている
と分かりました。


7才で母親(私の祖母)を亡くした私の父。
父親(私の祖父)はたいへん厳しく
手をよくあげられていたそうです。
そして、とても貧乏で惨めだったと。


貧乏をバネにして頑張っている。
それ+愛着が定着してないから
自己価値が低い。


私が子供ながらに父に対して
「かわいそう」
と感じてきていたのだと思います。


父は母にそのポッカリ空いた心を
満たしてほしいと望んでいたようですが
いつもかわされていました。

そしてかわされ続けると
罵倒することでしか繋がりが
持てない。

母が罵倒される。
私は父の苦労話を強制的に聞かされる。
少しでも意見を言うと
お前に何が分かるんだとバカにされ
薄笑いして勝ち誇ったように
見下される。


そんな環境だったけれど
私は父の

家族の中にいても
孤独


そんな父の気持ちを感じていたのかも
しれません。


父の罵倒を黙っーて耐えて聞く母。
その鬱憤晴らしはいつも
私に八つ当たりとして
「出来ない」事を理由に
躾という折檻でされていました。



オープンセッションでは
親の自己肯定感を満たす為に
私を「出来ないポジション」に
していた事が分かりました。


それを分かりながらも
父の孤独感をわかってあげたい


なにか父より自己肯定感が
満たされてしまうと
罪悪感を感じてしまう


カズ姐さんにも次は
父への罪悪感と愛着のワークを
していくといいね、と
言われました。




昨日、私の子供達に伝えました。
「お母ちゃんの人生は
お母ちゃんのもの、
あたな達の人生は
あたな達のもの」

そう言うと
「わかってるよ!」
と子供達。

それから
「お母ちゃんを可哀想と
後ろを振り向かなくていい、
これはお母ちゃんが自分で
選んで取り組んでいる問題
だから。」

と言うと、少し表情が曇りました。
"可哀想"
という言葉に反応してる。


私から見ても
子供達は私から目を離そうとしない
ように感じています。

何か、立ち止まっているよう。


これは愛情と言う名の
負の連鎖でしょう。


まだまだ
私の開放が必要です。

まずは私から



ぜったい大丈夫!

なぜって

根拠はないけど
大丈夫だって
思ってるから!!






頑張ろう。

大丈夫、すべては順調だ

道は拓く!