こんにちは
本日もたくさんのブログの中から
こちらをお読み下さり、
本当にありがとうございます✨
起業準備中、
HSPを魅力に変える専門家 みーは、こと
高岡瑞葉です。
今回はマイストーリーについて
「1つ目の谷を誰とどうやって克服してきたか?」について
お話していきますね
《マイストーリーについて (全21テーマ) 》
⑤ 1つ目の谷を誰とどうやって克服してきたか? (今回はコレ!)
⑥ 1つ目の谷で学んだことは?どんなことに気づいたか?
⑧ 2つ目の谷を誰とどうやって克服してきたか?
⑨ 2つ目の谷で学んだことは?どんなことに気づいたか?
⑪ 3つ目の谷を誰とどうやって克服してきたか?
⑫ 3つ目の谷で学んだことは?どんなことに気づいたか?
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㉑まで続きます♡
ちなみに1つめの谷については、
以前こちらでお話させて頂きました
▼コチラ▼
https://ameblo.jp/mikanzeri-cosme0524/entry-12754515495.html
今でもトラウマで鮮明に思い出すのですが、
笑ってないのに「笑いながらプレーするなよ」
と本気で怒られていたテニス部時代。
本気で悩み過ぎて、
当時は鏡で自分がどういう風に見えるのかを
何度もみていました
笑っているように見られるなら、
と
コーチが来る日は、
眉間にシワを寄せめでプレーしてみる、など
良いプレイが出来てもニコニコしない。
テニスそのものが純粋に楽しめなくなってました
そして心の中では、
めちゃコーチ苦手・・・状態。
だいたい土、日曜日の練習日にコーチが来るのですが、
毎週末がとっても憂鬱そのもの
今振り返れば、
当時もHSPが発動していたのかな?
苦手だけど、嫌だけど
「コーチに嫌われないように頑張らなくっちゃ」
でした。
なので、
「こんな克服方法!」
というよりも・・・
部活動を卒業するまで
「何とかやり抜く!」という感じでした。
親からは「粘り強い」と言われたこともありますが…
当時も何か違和感を感じていました。
粘り強いワケではない…。
モヤモヤ。
今振り返ると
粘り強いというよりも、
気づいていなかっただけで、
HSP気質が発動していたのでは?
と思います。
また心の癖で
「一度始めたら、最後までやらなければならない」みたいな
謎のマイルールがあったのでしょうね
当時は、今よりパワーもあったので、
何とか3年間やりきることができました。
途中、2度の疲労骨折をしたり等
ありましたが…
部活の泣き言は、
テニス部の仲間に話したり、
母親に話したり。
「嫌だ・・・行きたくない」
「つらい、もう辞めたい」
と何度泣き言を家族や友人に話したか。
そういう意味では、
「友人」、「家族」のおかげで、
当時、乗り越えることができたのだと思っています
大人になってからは、
中々心を許せる、
ホンネで話せる友人って出来づらいですが、
当時の友人は、
今の私の飲み友達でもあります
HSPさん向けのお茶会や、
イベントを今後開くようになったら・・・
一生モノのお友達を作りたい!と
思った今日この頃でした
本日はここまで。
本日も
最後まで読んで下さるアナタに
いつも本当に感謝の気持ちでいっぱいです
私の経験が、あなたの心を少しでも
癒すことができますように♡
ではまた
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