かつて北海道は鉄道王国だった…
1962(昭和37)年には、広大な土地を縦横無尽に53もの路線が走っていました(国鉄以外の会社線も含む)
それから50余年、石炭産業の衰退、農漁村の過疎化、モータリゼーションに伴う道路の整備などによって多くの路線が廃線になりました
1962(昭和37)年当時の鉄道路線
レクレーション 全国旅行案内図
JR北海道は2016(平成28)年秋に当社単独での維持が困難な路線として13線区・1,237.2km)を発表
PDF↑を拡大してご覧頂くと見易いです(図をクリックするとPDFが開きます)
この発表後にも
石勝線夕張支線、札沼線(北海道医療大学-新十津川間)、日高線(鵡川-様似間)など
既に廃止された区間や災害による休止からそのまま廃線が決定した路線もあります
輸送密度が200人以上2,000人未満の線区として単独で維持困難な線区の一つに
太平洋沿岸の釧路とオホーツク海沿岸の網走を結ぶ釧網本線があります
釧路湿原の中を抜けて、阿寒摩周国立公園の屈斜路湖と摩周湖の間を走り
知床連山をバックにオホーツク海沿岸を網走へと向かう魅力溢れる路線
北海道による総合交通政策検討会議(2018年)では、本区間は「観光客の利用だけで鉄道を維持していく事は難しい事から、関係機関が一体となって、観光路線としての特性をさらに発揮するよう取り組みを行うとともに、地域における負担等も含めた検討・協議を勧めながら、路線の維持に最大限努めていく事が必要と考える」としています
残念ながら、私は未だ釧網本線を走る列車には乗った事がありませんが、
数少なくなった北海道の路線の中でも特に魅力ある路線の一つだと思います
いつの日か必ず乗りに行くので無くなりませんように
映画「遥かなる山の呼び声」(山田洋次監督)のクライマックスシーン
石北本線を網走へと向う列車、急行大雪の車中に高倉健と二人の刑事
停車駅のホームで弁当とお茶を買い、戻って来た刑事
急行大雪はゆっくりと発車しますが
目を凝らして観ていると…
刑事の背中の右、車窓に一瞬駅名票が写り込む
あれ?「てしかが」って・・・(;・∀・)
ハナ肇と倍賞千恵子も乗り込んでくるこの重要な場面の駅ロケは釧網本線で行われたようです
弟子屈駅は1990年に摩周駅と改称されました
釧網本線は屈斜路湖と摩周湖の間を走りますが、この辺りには硫黄山や川湯温泉があり、
川湯温泉には弟子屈町出身で樺太生まれの横綱大鵬の像がありました
ロシア人の血を引く大鵬は母親と2人で
南樺太から最後の引き揚げ船小笠原丸で小樽に向かいます
小笠原丸は8月22日に国籍不明の潜水艦によって増毛沖で撃沈されますが
母親の船酔いと体調不良で途中の稚内港で下船した為に辛くも難を逃れたそうです(三船殉難事件)
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さてさて
釧網本線から一旦離れまして、
網走方面から摩周湖の湖岸を目指します
この地図は交通公社のドライブガイド⑩北海道宿泊&レジャーガイド改訂5版
1987(昭和62)年1月20日発行で、もう30年以上前の物になります
1987年と言えば、国鉄が分割民営化された年で、4月1日からJR7社がスタートしました
1987(昭和61)年2月15日 北海道新聞
JR北海道が正式に営業路線として引き継ぐのは、函館本線、千歳線、室蘭本線、根室本線、石勝線の幹線5線と9地方線の14路線で2,558キロ
これまでに特定地方交通線の第1次廃止対象路線8線が全てバス転換し、
第2次廃止対象路線のうちの3線もバス転換を終えて
残る11線のうち羽幌、瀬棚、士幌、湧網線は民営化前の廃止が決定しました
長大4線(標津、池北、天北、名寄本線)と歌志内、松前、幌内線の7線(635キロ)は、国鉄改革法等施行法の経過措置で当面、JR北海道が暫定運行して清算事業団から赤字補てんを受ける事になっています
このため合わせて21路線(3,193キロ)がJR北海道によって営業され、青函トンネル開通後には津軽海峡線がこれに加わります
JR北海道会長には元北海道拓殖銀行頭取の東条猛猪氏が内定
いよいよ明日から民営化スタート
1987(昭和61)年3月31日 北海道新聞
経営安定基金を更に622億円上積みして6,822億円になり、
同基金を年7.3%で運用すると想定して、その受取利息分498億円が清算事業団を通じてJR北海道に支給される
また、基金とは別に、62年度に限り、青函連絡船を運航するJR北海道に、その赤字補給分として12億円が政府から支給されます
JR北海道は、21線区計3,193.3キロの営業を引き継ぐが、特定地方交通線の7線634.9キロは2年間の暫定運行後廃止される予定
これまでに第1次廃止対象路線8線と第2次廃止対象路線14線中の7線の15路線がバス転換されています
スクラップブックを眺めているうちに時間も遡ってしまいました(^▽^;)
摩周湖の湖岸へは、
弟子屈町側の対岸の清里町と中標津町境の裏摩周からアクセスしなければなりません
国鉄が民営化されたばかりの1987年(昭和61年)の初夏
網走を出発して小清水から南斜里へと道道269号美幌斜里線を走って来ました
この変形四差路を右折して道道1034号線を清里方面へ向かいます
なぜショートカットしなかったのかと言えば・・・
道道269号線のこの区間(小清水-南斜里)はアップダウンを繰り返すひたすら一直線の道路として
北海道ドライブポイントベスト10にも名を連ねてた
「わぁ~っと驚くひたすら一直線。これぞ北海道の道」デス
JTBのドライブガイドにはベスト10入り
天に続く道として有名な知床斜里の絶景ルートととしては
もう少し海岸寄りの国道244号と国道334号が直線で繋がるルートの方が今では有名になってる
画像は知床斜里 天に続く道より
道草ばかり喰ってるのでなかなか進みませんね~
(/≧∇≦\)アチャ
キンタン・カムイ・トー(山の神の湖)という意味を持つ摩周湖は
道東の弟子屈(てしかが)町に位置する北海道で最も歴史のある阿寒摩周国立公園内のカルデラ湖です
約7千年前に摩周火山が噴火して陥没した摩周カルデラに
長い年月をかけて雨水や雪どけ水が溜まった摩周湖の水は
世界有数の透明度で吸い込まれるような摩周ブルー
周囲約20kmにも及ぶ切り立った断崖に囲まれ、注ぎ込む川もありません
道道1034号中標津斜里線は摩周湖の東側を清里峠(標高434m)で越えて中標津へと続きます(冬期は通行止)
清里峠から右折して裏摩周展望台へ
JR釧網本線からアクセスするなら最寄りの緑駅より車で40分(バスはありません)
清里町と中標津町の境に位置する裏摩周展望台(標高585m)は
弟子屈町側の展望台よりも標高が低い為、霧の発生が少なく湖面を望める確率が高いそうな
因みに弟子屈町に在る第1展望台は標高683mで第3展望台が標高701mです
裏摩周展望台 きよさと観光協会
ジオクラフィカで確認すると裏摩周第1展望台の標高は585mで
かつて存在した裏摩周第2展望台はそこから70m程低い場所にありましたので標高515mだったかと
摩周湖の湖面標高は351mなのでここから波打ち際までの標高差は164m
因みに対岸の第3展望台だと標高が701mもあるので湖面との標高差は350mにもなります
裏摩周展望台 斜里郡清里町
裏摩周第1・第2展望台の表記は無くなり、裏摩周第1展望台の位置が裏摩周展望台となってる
かつて存在した裏摩周第2展望台に通じていた車道も閉鎖されたのか無くなってますね
最初にことわっておくと
当時(30年以上前)には、ルートこそ険しいものの
誰もが湖岸にまで到達する事が出来る道があり
ガイド本にも紹介されておりましたが
現在は阿寒摩周国立公園の特別保護地区に指定されており
カルデラ内壁内への立ち入りは一般人だけでなく、
マスコミや研究者に対しても厳しく制限されているようです
このため公園計画が大きく変更されたのに伴い
利用施設計画も変更され、無くなった施設や道路もあるようです
流入・流出河川が無いのに年間を通じて水位の変動が無いのは何故
外輪山への降水が水源らしいけど、何処が洪水吐の役目を果たしてるのだろう
雪どけ水と雨水のみが溜められ、湖自らの圧力で湖水が地下に滲み出し、再び湖中に沸きだすという天然のろ過システム
流入する川が無いため土砂などによる汚染が無い事と、周囲の高い壁が人を寄せ付けない事など様々な条件が重なって世界でもトップクラスの透明度が生み出されています
摩周ブルーの吸い込まれるような青い色の秘密はこの神秘の世界から生まれるようです
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さてさて
ルートが見つかり、急勾配の外輪山の谷を倒木を跨ぎながら降ります
【追記】
ルートの入口がどこに在ったかは今となっては記憶が定かではありません
阿寒国立公園が阿寒摩周国立公園に拡張され、特別保護地区も拡張されて付近にあった道も無くなったのかと思われます
当時の地図には載っていた裏摩周探勝線道路(歩道)も削除されております
- - - - - - - -↑ココまで- - - - - - -
下る途中で木立の間から湖面を眺めると
先ほどまで見下ろしていたカムイッシュ島が目線の高さに近づいて来ます
標高351mの湖面に浮かんでいるのはカムイッシュ島(中島)
小さく見えますが、湖面からの高さは30mもあります
もちろん浮かんでいる訳では無いので(笑)
湖面の下には210mの大きな山が隠れている訳でデイサイト質の溶岩ドームなそうな
それにしてもうまい具合に頂上部分がぽっかりと湖面に現れたものです
無事に湖岸に到達しました
目線の高さに見えるカムイッシュ島に感激。+゚(゚´Д`゚)゚+。
波打ち際には1930年7月に魚の餌としてオス248尾、メス228尾が放流されたというウチダザリガニの子孫でしょうか
ザリガニがたくさんいました
対岸の外輪山は高く聳え、第3展望台は湖面から350mの高さにあります
カムイヌプリ(標高855m)方面
裏摩周展望台からの眺め↑画像はたびらい 2013-11-16より
対岸はちょうど第1展望台方面かな・・・
深さ212m、流れ込む川も無いのによくもこんなに水が溜まったものです
湖岸にはケルンが積まれてました
向こうに4人ほどのグループが休んでる
摩周湖面の標高は351m
水深は211.5mで平均水深も138mあります
裏摩周展望台まで無事戻って来れました
以上で摩周湖岸への探訪はおわりますが
早朝に発生する事がある摩周湖の雲海もまた見事です
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摩周湖の雲海は更に2年前に遡ります
阿寒摩周国立公園
阿寒湖のチュウルイ島でマリモも見学
(・ω・)/ヮ-ィ☆
阿寒湖チュウルイ島
中標津付近
根釧台地の広がるこの辺りは道は何処もまっすぐ
知床からの帰りに360度地平線が見渡せる根釧原野の中標津開陽台へ
往路で1泊した弟子屈のコミュニティクラブハウスへ再び向かい
復路でも1泊する
もちろん翌朝の摩周湖の雲海スクランブルに参加する為です
8月17日早朝
斥候部隊からの無線連絡で雲海が発生しそうとの事!
直ちに雲海スクランブル(笑)で第3展望台へ駆け登ります
晴れ渡った湖面に流れ落ちる雲海
摩周湖の湖面に右(南)から外輪山を越えて滝の様に雲が流れ込んでいきます
やがてカルデラ壁に囲まれた湖面一杯になると
溢れた雲は外輪山の外に流れ出していき
あっという間に外輪山から下はカルデラの内も外も辺り一面が雲の下に…
屈斜路湖近くの津別峠でも同じ様に雲海が見れる事があるようですが
摩周湖のカルデラに流れ込み、満杯になって溢れていく雲海ショーに思わず息を呑み込みました
コミュニティクラブハウスがあった場所ははっきりと覚えてませんが、
お風呂は川湯温泉の旅館の湯を使わせて頂く様になってたのでその近くだったかと
北海道道路地図’84新版 地勢堂
昭和59年3月改訂版発行
コミュニティクラブハウスの在った場所はスクランブルの所要時間から
この辺りだったような(;^_^A
翌年の5月に釧網本線の美留和(びるわ)駅前に移転したという案内が届きました
今でもやってるのかな?
釧網本線 美留和駅
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阿寒摩周国立公園のもう一つのおすすめポイントは・・・
雄阿寒岳と阿寒湖も良いですが、雌阿寒岳の麓にそっと佇むオンネトーが魅力的
雌阿寒岳(左)と阿寒富士(右)
画像はあしょろ観光協会より
オンネトーは知床からの帰りに寄ったので日没ギリギリでしたが
明るいうちなら雌阿寒岳と阿寒富士がオンネトーに鏡の様に映り込みます
季節や天候、見る角度によって湖面の色が変わり
北海道の三大秘湖の一つといわれてます
この当時は、鉄道を利用するという習慣が身について無かったですが
今思えば・・・
根室本線厚床から標津線へ
標茶から釧網本線で網走へ
網走から湧網線で中湧別へ
中湧別から名寄本線で興部経由で名寄へ
名寄から深名線で深川へ
こんな夢の様なルートも可能だった・・・
あっ!湧網線だけJR北海道になる前の1987年3月20日に廃止になってた
じゃあ、網走から遠軽までは石北本線で、遠軽から名寄本線という事で・・・
などと妄想するだけでも楽しい
ヾ(@~▽~@)ノ
え!変ですか私
( ̄△ ̄;)エッ・・?
現在の北海道の鉄路
赤字はこれまでに廃止された路線名
釧網本線は釧路湿原、阿寒摩周国立公園、そして知床半島の玄関口斜里町の観光路線としても欠かすことは出来ません
石北本線とセットでの存続を願って止みません
輸送密度200人以上2,000人未満の線区も消すとこんな感じに
石北本線、釧網本線、宗谷本線(名寄-稚内)、富良野線、根室本線(釧路-根室、滝川-富良野、室蘭本線(沼ノ端-岩見沢)、日高本線(苫小牧-鵡川)
北海道新幹線を除けば明治40年頃にまで戻ってる
長くなってしまいましたが
最後までご覧頂きましてありがとうございました
では、また