四国で
一番美しいところ
 
最後に、
四国でどこが
一番美しいかと聞かれると、
私は瀬戸内海岸もいいけれど
徳島から室戸岬へ下る
海岸線の美しさをあげたい。
この阿波の南海岸ほど
美しいものを
私はまだ
日本の他の海岸に
みたことがない。
 
瀬戸内晴美 -四国の旅より-
  
 
瀬戸内寂聴さん
 
そんな事をおっしゃるなら
 
なして、瀬戸内晴美なんて名前にしたのさ?
 
な〜んて思っていたら本名でした(〃▽〃)
 
ペンネームが三谷晴美だったとは、びっくりたまげたぞなもしびっくり
 
船DASH!
13時30発の連絡船第4便で牟岐港を出港しました
 
出羽島連絡事業(有)による連絡船は
 
午前・午後と3便づつ、1日6便ありますが
 
日帰り探訪では、出発駅がみかん県の伊予三島駅
 
否、同じすだち県内の阿波池田駅をもってしても
 
現在のダイヤでは、これより早い便に乗船する事は叶いません(◞‸◟)
 
 
牟岐線の阿南駅以南の運転本数は、徳島-阿南間(30分間隔)に比べて
 
4本に1本程度で、パターンダイヤとはいっても2時間に1本w
 
牟岐駅到着は最短でも11時20分になります
 
(特急列車の運転は僅かに1往復のみで、下り特急列車は19:33徳島駅発牟岐行きしかありません)
 
連絡船の第3便が11:10なので午後の便に・・・ショボーン
 
 
本日もご訪問頂きましてありがとうございます
 
前回の牟岐線 牟岐駅から牟岐港へからの続きになります
 

13:33
牟岐港を出港した大生(おいけ)丸は、港のほぼ真南に浮かぶ出羽(てば)島へと向かいます
 
振り返って北方には
 
牟岐港の奥には山頂が5つの峰に分かれている五剣山(標高638.2m)が聳えてる~
 
牟岐線辺川駅近くに登山口があるようで
 
鬼ヶ岩屋(標高450m)から五剣山への縦走コースは太平洋を見おろす景色がよさそう
 
牟岐パンフ⇒こちら(PDF)
※パンフに載っている鬼ヶ岩屋温泉 上善の湯は2012年から休館の後閉館したようです
 
13:38
出羽島へ向かう連絡船の右手(西方)には
 
黒潮洗う室戸阿南海岸国定公園の白眉である八坂八浜の海岸線 サーフィン
 
牟岐から浅川までの10キロ余りは沈水性の地形で、尾根が海に沈んで岬(坂)となり、谷が入江(浜)となった地形で坂から浜と八度繰り返すことから八坂八浜と呼ばれています
大坂-内妻浜-松坂-古江浜-福良坂-福良浜-鯖瀬坂-鯖瀬浜-萩坂-大綱の浜-鍛冶屋坂-鍛冶屋浜-粟浦の坂-粟の浜-三浦の浜-借戸坂
 
13:38
左手(東方)には南北2つに分かれた岩礁の小津島、その向こうに無人島の津島、
 
さらにその奥には姫神伝説のご神体のモデルとなった珍宝岩のある(牟岐)大島
 
大島は周囲8kmの海岸線が切り立った無人島で、釣りやダイビングの名所ですが定期船は出ていません
 
ジオグラフィカによる国土地理院地図
 
目指す出羽島は
 
牟岐港から約3.7km、定期船で15分の距離にある常夏(とこなつ)の島晴れやしの木やしの木
 
真冬にエンドウが実を結び、亜熱帯植物が良く育ち、ハイビスカスが自生しているハイビスカス
 
とパンフレットには紹介されています
 
13:41
出羽島港の入口に石積の防波堤が現れました
 
明治4年頃に構築された丸石を使った大波止で
 
現在でも漁港の最も重要な防波堤としての役割を果たしていると同時に
 
歴史的・景観的にも重要な建造物として評価されているそうな
 
13:41
港の入口の護岸は全て石積で構築されてるキラキラ
 
出羽島港口の大波止の石積は、明治4年頃、官費半額と、住民の負担半額で築造したそうです
港の口、左右の波止めの間は18㍍ほどである。その周辺の石積みも、ほとんど同時期に築造されたとも考えられる。指定申請の大波止の堤防の内側に、長さ10㍍程崩れた低い堤防跡が2基残っている。港の広さは東西72㍍、南北108㍍で港内面積は1650㎡、深い部分は15㍍内外である。港の東側、北側砂州によって石が打ち上げられ港を囲ったものでその上に長さ540㍍幅7.2㍍の堤防を築き瀉湖の大池ができ、現在の出羽島港となった。
 
13:41
港口から港方面
 
13:42
港口を振り返る
 
 
13:42
自然の砂州に囲まれた天然の良港は大生毛(おいけ)と呼ばれていたそうな
 
13:43
連絡船の発着場に着きました
 
13:44
上陸地点には荷役作業に使われる手押し車が並んでました(≧∇≦*)
 
左の建物は出羽島簡易郵便局の裏のようです
 
13:44
沢山の自転車が並んでいますが
 
島内は狭く、そんなに走る場所も無い様に思われます
 
定期船に積んで渡り、本土上陸時に使用するのでせうかはてなマーク
 
 
帰りの連絡船は最終便(第6便)の16:35発
 
約3時間近く島を探訪することが出来ますなぁ~音譜
 
この時点ではパンフレットを持ってなかったので、計画性も無く歩き始めました
 
13:45
島に上陸すると必ず似たような施設があるけど
 
出羽島漁村センター
 
ここに国指定天然記念物のシラタマモが展示されていましたが・・・
 
オーラが出て無かったです(´・_・`)
 
ただの汚れた水槽にしか見えなかったよぉ~
 
13:45
港に沿って街並みの方へ移動してみます
 
公衆トイレに診療所
 
大きなハイビスカスの木が花を咲かせていますハイビスカス
 
13:45
砂州の上を固めた堤防沿いの道は観光遊歩道の東廻りコースとなっているようです
 
13:46
出羽島には自動車は一台も無く、手押し車や荷車が大活躍
 
この荷車は大きな荷物を運ぶ際に用いられると思われます
 
・・・って、
 
殆ど人に逢わなかったけどねニヤリ
 
13:48
出羽神社
 
徳島県海部郡牟岐町牟岐浦出羽島6に鎮座されて居られます
 
出羽神社の秋祭りにはお神輿が運行されるようです
 
13:46
徳島県出羽島診療所
 
13:47
野口雨情の歌碑
 
船で廻れば
出羽島一里
島にゃ大池
蛇の枕
 
と書いてあるようです
 
今になって気が付いたのですが
 
これまでに見たJR牟岐駅前の歌碑(第1節)、連絡船乗場の歌碑(第1・12節)
 
そして、この歌碑(第八節)の全てが牟岐みなと節の中の一節でした
 
野口雨情は昭和11年に徳島市を訪れた際に当時の牟岐町長富田加久三氏に招かれ
 
牟岐民謡の創作を依頼され、十五節の歌を一晩で書き上げたそうです
 

 

曽我了子さんの牟岐みなと節音符
 
なかなか良いですハート
 
是非とも聴いてみてください照れ
 

野口雨情 

新民謡「牟岐みなと節」歌碑めぐりマップこちら

 
13:47
出羽島発第5便(15:00)の出航を待つ大生(おいけ)丸
 
13:49
砂州の防波堤の外の海岸から東方面の太平洋を望むと
 
南北二つに分かれた岩礁の小津島、津島、姫神伝説の大島と無人島が連なってます
 
13:50
明治初年頃、長さ540m、幅7.2mの防波堤が石樹竹によって根固めされ築造された
 
このコンクリートの防波堤はその上に作られたものと思われます
 
13:51
島での生活には欠かせない手押し車(ネコ車)
 
13:52
閉じた(折りたたんだ)状態のミセ造り(蔀帳)
 
折りたたむと雨戸の役目を果たすスグレモノ
 
開けた状態は後のお楽しみに・・・ニヤリ
 
ミセ造りは、家の玄関横の二枚の板戸を上下に開閉する仕組みで蔀帳造りとも呼ばれたそうです
 
ルーツは京都で、室町時代以降に中四国、近畿一円に広がったらしく、うどん県の仁尾町にも多かったらしい
 
上ミセは蔀戸(しとみど)、下ミセは床几(しょうぎ)とも呼ぶようです
 
13:52
最近手入れされた様子のミセ造りのある家屋
 
高知県の東洋町のHPでは
 
「昔は高知県の海岸線にも多かったが、現在は、東洋町や徳島県の下灘地方に残っている」
 
と紹介しているが、上灘と称される牟岐町にも残っている
 
13:53
港の傍にあるタスカルタワー
 
津波から避難するための施設です
 
ちょっと高さが低い様な気もしますが、大丈夫なんでしょうか?
 
13:53
町屋型の民家が連続する西波止・本町地区(だと思う)
※地区名は調べたけど、明記しているものが見つからず、写真と記憶で判断したので間違っているかも知れません(。・・。)
 
西波止地区、本町地区、新町地区はこんな感じでしょうか?
 
新町地区は安政地震後に浜を埋め立てて計画的に宅地整備されたといいます
 
牟岐町出羽島(徳島県)PDF
江戸後期の本格的な移住開始を契機に、島北部の入江を利用した港の周りに集落が形成されました。集落拡大の歴史が地区ごとの特徴となって反映されており、幕末から昭和前期までの伝統的な民家が高密度に残る
牟岐町出羽島伝統的建造物群保存地区は、これらの伝統的建造物及び周辺の環境と一体となって、離島における伝統的漁村集落の風致をよく伝えている。
 
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13:54
おぉ~!
 
この家はミセ造り、中二階建ての手摺り、千本格子
 
13:54
上ミセと下ミセ どちらも明けた状態
 
下ミセは縁台や漁具の手入れをする作業場として日常的に使われていたそうです
 
上ミセだけを開けると明り取りとして機能
 
この家屋は十分手入れ管理されていますが、郵便受け、電気メーターが無いので住まわれては無いのかも
 
13:55
こちらの空き家は上ミセは無くなっていますが支柱を通す台の様な細工が残っています
 
13:55
このネコ車の主はもう居ないのかも(◞‸◟)
 
13:55
路地と呼ぶには狭すぎるかも?
 
家屋の間の隙間
 
奥へ行くほど防波堤の高さに近づき高くなる
 
13:55
大きめの荷物を運ぶにはこれハッ
 
大八車型?
 
13:56
 
13:56
砂州後の防波堤に出る最後の路地(東回りコース)
 
現在地はココキラキラ
 
まっすぐ進んで石段を登ると観栄寺に至る
 
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13:57
民宿まるわの角を右へ曲ると新町地区?を抜けて港の畔に出ます
 
途中に出羽島帆布工房が在ったはずですが気付きませんでした
 
13:59
港を挟んで出羽神社の対岸を西へ
 
港の周辺にはハイビスカスの花が咲いてますハイビスカスハイビスカス
 
13:59
堤商店
 
もう営業はしてないのかな?
 
自販機がありました
 
上陸後のここまでの行程と現在地
 
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14:00
港の対岸は連絡船乗場
 
遠くの山脈に五剣山が見えてます
 
14:00
観光遊歩道中央コースの入口です
 
消防団の屯所と島の貴重な水源だった共同井戸の間の道を進むと中央コースを辿って出羽島灯台に至ります
 
この井戸には町指定天然記念物のカニクイ(オオウナギ)が棲息しているとの事
 
現在地はココです↑
 
14:01
現在地から東には何処に続くのか
 
真っ直ぐに登るコンクリートの階段が・・・
 
何が在るのだろう~
 
時間があれば帰りに登ってみる事にします
 
14:01
南へ向かう中央コース
 
途中に分岐があって出羽島小学校跡にも行けます
 
14:01
このまま港に沿って西へと進み、
 
洲鼻地区を通って灯台に至る西廻りコースを歩こうかな音譜
 
 
長くなりましたので今回はこの辺で・・・
 
今回もお立寄り頂きましてありがとうございました
 
 
では、またバイバイ
 
 
次回もみてね ಠ‿↼