徳島駅から牟岐線で72kmを1時間57分かけて
 
牟岐線の終点である海部駅より3駅手前の鯖瀬駅までやって来ました
 
来年(2020年)からは、阿佐海岸鉄道阿佐東線のDMV化によって
 
海部川手前のJR四国牟岐線の阿波海南駅より線路が分断され
 
海部駅-阿波海南駅間が阿佐海岸鉄道に移管されるようです
 
よって牟岐線の終着駅は阿波海南駅となり、その先は鉄路と陸路を走るDMVの専用路線となり信号機等も取り払われます
 
海部行の列車が走るのもそれまでのあと僅かの期間となりました
 
 
この辺りは海岸線まで山がせり出しており、
 
阿佐東線は全線、牟岐線も牟岐駅から南は
 
トンネルと高架で敷設された高規格な路線です
 
 
本日もご訪問頂きましてありがとうございます
 
前回の牟岐線で鯖大師へ(徳島駅-鯖瀬駅)からの続きになります
 
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鯖瀬駅から鯖大師に向かいます
 
11:29
国道55号線の向こう側にさばせ大福のお店があります
 
店舗の向こうの鉄筋コンクリート造りの住居は3階建のうえ屋上まである
 
津波タワーを兼ねて建てられたのでしょうかね
 
この辺りは上の地図をみても、
 
南海トラフの巨大地震が起こった際には太平洋の津波がまともに襲って来そうです
 
徳島新聞 さばせ大福

徳島県牟岐町から海陽町湯浅までの約10kmの海岸線は
 
昔から「八坂八浜」と呼ばれる景勝地で岬と浜が交互に続く美しい海岸線が連なります
 
しかし、風光明媚な景色とは裏腹に、遍路泣かせの場所でもありました
 
日和佐の23番札所薬王寺から室戸岬の24番札所最御崎寺までの距離は80km
 
厳しい道中にお遍路さんのおやつを売ろうと約40年前に大福餅の販売を始めたそうな
 
 
11:29
高架上の鯖瀬駅へ登る道のすぐ隣に鯖大師本坊とへんろ会館の大きな看板が立っており国道55号線からも良く見えます
 
11:29
駅から鯖大師まで100m程
 
スロープを降りると左に曲って牟岐線の高架の下を潜ります
 
この上は手摺りの付いた鯖瀬駅のホームになります
 
11:30
しばらく進むと赤橋があり、右手に護摩堂が建ってます
 
奥には大きなトイレもありました
 
11:31
仁王像の向こうに本堂が見えます
 
四国霊場番外札所鯖大師本坊って書かれた石柱が建ってます
 
四国別格霊場第四番札所
 
この別格、番外とは八十八番札所に入っていない寺で弘法大師に縁のある寺が二十か寺集まって作られたそうです
 
88と足して108が意味を成しているかどうかは定かではありませんが
 
たとえ別格でも札所に名を連ねるのと否とでは参拝者の数は雲泥の差が生じる事でしょう
 
また、八十八箇所めぐりをしている方には23番と24番の間が80kmもあり、宿坊としても重宝されているようです
 
本堂の隣に大師堂があるようです
 
本堂をお詣りして、記帳をお願いし
 
鯖を持った石像は何処に・・・
 
隣の大師堂の中に居られるようです
 
11:37
しかし、なぜ鯖大師なの?
 
その由縁は、この地を訪れた空海(弘法大師)の伝説によるそうな
 
平安時代初期に空海が八坂八浜を訪れた際、行基上人(668~749)手植えの松の下で野宿し行基の夢を見たそうです
 
其処を塩鯖を馬に背負わせた馬子が通りかかり、大師が塩鯖を所望した所、馬子は口汚く罵り断ったそうな
 
坂に差し掛かった所で馬が急に苦しみ動かなくなり、慌てた馬子は先ほどの僧は空海に違いないと
 
鯖を差出し馬を治して欲しいと懇願する
 
空海が加持水を馬に与えたところ、馬はたちまち元気になったそうな
 
空海は法生島(大砂海水浴場)で塩鯖に加持祈祷を行い、海に放ったところ塩鯖は生き返り、
 
これに感服した馬子は空海の弟子となって、この地にお堂を建てて行基の像を祀り行基庵と名付けた
 
空海が加持祈祷を行った海岸は鯖瀬と呼ばれている
 
との事ですが、
 
これと全く同じ話が江戸時代前期の遍路最古のガイドブックと云われる真念和尚の「四国遍路道指南」にも記載されているという
この本では、空海ではなく、行基上人の話になっているとの事で
 
全くのパクリ話なのである( ̄ー ̄;
 
いったい誰が・・・
 
 
その行基庵が現在の鯖大師本坊との事
 
ということは・・・ニヤリ
 
11:38
御朱印を頂きました
 
財宝のお守りも付いてました(財布に入れると良いそうです)
 
11:40
本堂と大師堂の間を少し登って行くと立派な多宝塔が建立されてました
 
般若心経の写経を奉納する多宝塔で平成22年に落慶したそうです
 
写経用紙(30枚)一冊 1000円送料300円
写経奉納料 1枚 1000円
 
他にも御祈願・ご供養色々とコースが御座います( ̄▼ ̄*)
 
11:41
へんろ会館
 
宿坊です
一泊2食 6,800円(税込)
全館、冷暖房完備、快適・最新の屋内施設は150名を収容することができ、浴場・洗濯場まで完備したこの会館は、まさに、お大師様に逢い、お大師様と語る憩い癒し、心をあらい、心をみがく修行の場となっています【HPより】
 
 
11:42
大師堂
 
この中に鯖をぶら下げたお大師様が居られました
 
鯖絶ち奉納絵馬 一願 1000円
 
自分の願望の開運、子宝成就、病気平癒を成就する為に鯖を3年間絶って祈願するそうな
 
全日本さば連合会のコメントや如何に・・・( ̄へ ̄)
 
11:50
本堂東の山腹を穿ち、作られた全長88mの大洞窟への入口
 
洞窟は沖縄の海軍司令部壕の3倍くらいの大きさで、四国八十八箇所お砂踏みの回廊となっています
 
洞窟内はLED照明によって夥しい数の金色の仏像が荘厳に輝いています
 
11:50
万体不動尊泰安殿
 
八十八箇所お砂踏み霊場の洞窟と三十三観音お砂踏み霊場の洞窟があります
 
11:51
本堂 平成5年2月28日改修落慶
 
11:52
 
11:55
護摩堂
 
先ほどの万体不動尊泰安殿から洞窟が護摩殿へと続いております
 
 
八坂八浜のほぼ中間に位置するという鯖大師本坊
 
八坂寺のお詣りを終えての印象は・・・
 
お寺(札所)としてのビジネスモデルの成功例みたいw(´-`)ノ
 
すべては金銭を媒介とする価格が表示されていた事が印象深かったです
 
 
気になったのは、いつの頃に八坂寺(鯖大師本坊)が出来たのか?
 
色々調べてみましたが判りませんでした
 
少なくとも江戸時代初期には弘法大師による馬子と塩鯖の話は無かった訳で…
 
その後に行基上人と弘法大師の話しを上手く絡めて
 
遍路道の難所に宿坊を兼ねた八坂寺が作られ、別格霊場入りして今日の繁栄がもたらされたものと思はれます
 
それともお大師信仰が盛んになる前にから既に行基菩薩の寺として存在しており
 
途中からお大師信仰の流行に上手く乗って行基から空海へと乗り換え別格札所入りしたのかも
 
などと推測は尽きませんw
 
 
11:55
12時12分の上り列車に合わせて鯖大師を後にしますバイバイ
 
赤橋から太平洋方向
 
手前が盛土の牟岐線、奥が国道55号線
 
11:58
国道55号を渡って海岸へ出てみました
 
これから向かう出羽島と大島が太平洋に浮かんでいます
 
上:ジオグラフィカ 下:ガーミンのGPSトラックログ
ガーミンのログでは牟岐線の同じ軌道上の往復がずれているのは何故だ?
 
この辺りは昔から八坂八浜と呼ばれ、四国の札所を巡る遍路道の中で一番長く、大変な難所の厳しい道でした。
1200年前にお大師さん(空海)は、厳しい坂のこの場所で野宿し、その時「空海よ」と呼ぶ声の方に振り返ると行基菩薩が現れて「空海よ、そなたは末永く人々を救い尽くすであろうぞ」と云われる夢をみました。
丁度その時、背に重い荷物を積んだ馬が通りかかり、お大師様は馬子に「暫く馬を休ませなさい」と声を掛けられましたが馬子は余計なお世話と馬を急がせました。
「待ちなさい、馬が苦しんでおるではないか、暫く休ませなさい 重そうじゃが何を積んでおるのじゃ」と訊ねると、馬子は「坊さんには縁の無い塩鯖だよ」と取り合いません
お大師様は「塩鯖を一匹だけ私に施して呉れないか」と云いましたが、馬子は口汚く罵って馬を引き行ってしまいました
お大師様は「大坂や八坂坂中鯖ひとつ 行基大師にくれで馬の腹や(病)む」と詠みました。すると馬が急に苦しみだして動けなくなりました。
慌てた馬子は先ほどの僧は空海に違いないと思い、一番小さい塩鯖を差出して馬を治してほしいと懇願する
空海が加持水を馬に飲ませると馬はたちまち回復し「大坂や八坂坂中鯖ひとつ 行基大師にくれて馬の腹や(止)む」と詠まれました
 
馬子が心から詫びると、ひと山越えた大砂の浜の法生島の波打ち際で塩鯖を海に入れて加持祈祷をすると生き返って沖の方に泳いで行き
この奇跡を目にした馬子はお大師様の弟子となり、この地にお堂を建てて行基の像を祀り、行基庵と名付けて後の鯖大師となったそうな
 
そのことからお大師様と馬子の出会いの坂を馬引き坂、塩鯖に加持祈祷した海岸を鯖施⇒鯖瀬と呼ぶようになったそうな
 
牟岐駅~鯖瀬駅周辺のGPSトラックログ
 
11:58
海岸線から鯖瀬駅方面
 
12:00
スロープを上がって駅へと戻ります
 
12:00
ホームから海部駅方面
 
12:00
ホームから牟岐駅方面
 
12:01
牟岐線の阿南以南のこの時間帯では、一旦降りると次の列車までの間隔は2時間ありますが
 
3駅先の海部駅での折返しの為、44分間で上り列車に乗車します
 
12:02
DMV!やっぱり世界初を売り物にしてる
 
愛媛新聞 2019年3月23日

3月の記事では牟岐線の阿南-海部で営業係数635円となっていたけど・・・
 
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愛媛新聞 2019年10月19日

先日の輸送密度では、阿南-牟岐と牟岐-海部に分けられて
 
牟岐-海部間(11.6km)が212人と最も少なく、路線維持が問題になっている予土線より悪いと載っていた
 
DMVは牟岐線の全線が存続して初めて成り立つのでホントに大丈夫なのかと心配になります
 
因みに阿佐東線の輸送密度は約170人/日で毎年の経常赤字が5~9千万円前後で開業以来一度も黒字を計上出来ておりません
 
12:03
あっ、出羽島がポスターに載ってるキラキラ
 
もうすぐ行くからね~(≧∀≦)音譜
 
駅舎には駅ノートも置いてあり、沢山書き込みがありました
 
鯖瀬駅のイラストが沢山描かれてました
 
みなさんとっても上手
 
牟岐線への愛おしさが伝わって来ますハート
 
12:06
 今になって気づいたのですが、iPhoneで見ると
 
鯖という漢字が下書き段階では正しく表示されているのですが…
 
公開すると魚へんに青となってしまいますもやもや
 
タイトル欄は正しく表示されますが本文は駄目です
 
PCでも確認してみると
 
Windows10では正しく表示されていましたが、XPではiPhoneと同じですもやもや
 
なんでだろ??
 
12:07
ホームから出羽島方面
 
12:08
まもなく、このトンネルの向こうから1500形1553が帰って来ます
 
12:12
定刻に4556Dが折り返して来ました
 
12:12
海部駅を発車して10分で鯖瀬駅までやって来ます
 
12:12
ここから隣の牟岐駅まで5分で到着します
 
12:12
4556Dに乗車しました
 
当然ながら降りた時と同じ運転士さんでした
 
徳島駅から海部駅まで全線乗務して折り返してきた運転士は牟岐駅で交代乗務になるようです
 
海部駅から牟岐駅まではJR四国で最も輸送密度の低い区間ですが、
 
土讃線の琴平-阿波池田の普通列車に比べれば多くの乗客(10人くらい)が乗ってました
 
まぁ、向こうは特急列車が通る幹線で、
 
牟岐線は阿波と土佐を結ぶ阿佐線となる予定でしたが、残念ながら行き止まりですから・・・
 
 
また、険しい地形の区間なればこそ利便性の高い高規格の路盤ですが
 
日和佐道路の延伸で自動車専用道が出来ると利用者は増々減って行くと思われます(◞‸◟)
 
来年の阿佐海岸鉄道のDMV化が牟岐線にも好影響をもたらしてくれるようにと願うばかりです
 
次回は牟岐港から出羽島へと向かいます
 
 
今回もお立寄り頂きましてありがとうございました
 
では、またバイバイ
 
次回へ続く