愛媛県東端の宇摩地方から新居浜市へと中央構造線沿いに続く法皇山脈は
石鎚山脈が北東部に出た支脈になります
宇摩地方では赤星山(標高1453m)とその東隣に天を突く尖頂の山容が凛々しい豊受山(標高1247.4m)が並んでいますが
豊受山は地元では親しみを込めて「おといこさん」と呼ばれています
宇摩地方には昔から「やまじ風」と呼ばれる台風並みの南風が吹き降りてきて、農作物や建物に被害を及ぼしてきました
やまじ風は日本三大局地風の一つとされています
1【清川だし】山形県の庄内平野に吹く
2【広戸風】岡山県の津山盆地、那岐山から吹き降ろす局地風
3【やまじ風】本来は「山風」と表記して「やまじ」と読むので、「やまじ風」とは云わない
※古くから地元の人々は「やまじが吹く」と言っていました
予讃線伊予寒川駅付近が最もやまじが強い為、構内に風速計が設置されており、JR四国はこの風速計が瞬間風速25m/sを越えると伊予三島駅(または川之江駅)と新居浜駅間で運転見合わせとしているようです
古くから「やまじ」は豊受山の風穴から吹き出すものと信じられ、
今でも毎年夏と秋に山頂近くの風穴神社で風鎮祭として風穴祭を行っています
夏は旧暦の6月13日、秋は新暦の9月13日
前日に夏は小麦粉、秋は米粉で365個の団子を作り、他のお供え物と一緒に豊受神社まで運び上げて献上し、
風穴神社の風穴に団子を投げ入れ、風の神を慰め「やまじが吹かない」事とその年の豊穣を祈願します
今年は7月15日月曜日が旧暦の6月13日ですが、最近では直前の日曜日に例大祭を行っており、
7月14日の日曜日に豊受神社の例大祭と風穴祭を行いました
昨年の翠波峰と水波大権現で伝承を紹介しましたが、一部を再掲しますと
伝承によれば、
宇摩の大領・越智玉澄(おちたまずみ)が、養老4(720)年8月に大三島の大山祇神社の御分霊を三島神社に運んでいるとき、宇摩の岩瀬の灘(津根の沖)に着いた頃、やまじと呼ばれる強い風にあおられ、危うく遭難しかけました。
玉澄が豊受山に向かって風神地祇に必死に祈ったところ、南方の山頂に赤い火の玉が現れ、夜空に輝く赤い星のように海一面を照らし輝きました。
すると不思議なことに、すぐに風が止み、波が静かになりました。
この現象を目の当たりにし、また海難から九死に一生を得た玉澄は、豊受山に風穴神社を造り、風神をお祀りしました。
また、赤星が現われた山は赤星山と名付けられ、この時に照らされた海一帯は火映(ひうつし)灘または燧(ひうち)灘と呼ばれるようになりました。
風穴祭りには、やまじが吹かないように団子を投げ入れる風習が残っています。
越智玉澄は生年不詳で天平19(747)年没で宇摩の大領になったのは霊亀元(715)年とされています。
越智玉澄が創立した三島神社の祭神は大山祗神、創建は大領を拝命した720年とされています。
川之江郷土物語 森実善四郎著による
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玉澄塚(タマズミヅカ)市指定史跡⇒こちら
因みに、予讃線の赤星駅の名前の由来は赤星山の山頂と駅が同一子午線上にあることから名付けられたそうです
同じ場所にわざと駅を作ったのか、それとも偶然一致したのかは分かりませんが赤星山の真北に駅が位置する事は間違い無いようです
また、
豊受神社はこれより早く千三百年前、白鳳元(676)年9月13日に天武天皇が伊予に下り、津根長津宮においてご即位の時に天照大神を村山神社に、豊受姫大神を豊岡山(現在の豊受山)に奉斎したと伝えられています
その時より里の衣食住など人が生きて行くために必要なもの全てをご守護するため鎮座されました
杜の初度は石の社でしたが、千二百年ほど前(西暦808年9月)より木の社となり
それより、伊勢神宮に倣い二十年毎に御社殿を建て替える式年遷宮を執り行っております
現在の氏子は富郷町豊坂岩原瀬、豊岡町大町で総数約490世帯となっておりますが、
富郷町地域全体で過疎化が進行して関係地域の氏子が著しく減少して氏子・崇敬世帯は、僅か10世帯となっております(平成25年現在)
豊受神社御社殿は千二百年前より、二十年毎の式年遷宮事業で、60回の遷宮が続けられてきました
直近では平成26年に大町部落と富郷町の両地域全体の氏子総数で所要経費を均等に奉賛金を募り、
式年遷宮費用338万円を捻出して本殿、拝殿、中殿(移築)、鳥居を建て替えました
さてさて
前置きが長くなりましたが、一昨日無事に本年度の夏の豊受神社例大祭を実施
風穴神社にも団子を投げ入れ、風の神を慰めてまいりました
前日は一日中大雨で、夜中も雨は降り続いており
当日の登山は危ぶまれましたが・・・
6:20
14日の朝は雨の勢いも弱まっており、豊受山の山頂を垣間見る事が出来ました
6:20
雨雲レーダーでは、九州に雨雲がかかろうかという所
6:30
今日はなんとか豊受神社夏の例大祭が実施できそうです
留守番は引受けたワン
午前7時集合
今回担当の我が地区からは20名(宮司1名含む)が登ります
自家用車6台に分乗して登山口へ
林道は大雨で荒れている為、遠回りになりますが
法皇トンネルで一旦尾根を越え翠波高原経由で再び尾根を跨ぎ
法皇林道のトラバース道を登山口へと進みます
7:37 ①
翠波高原
もう咲いてるコスモスを見かけました
8:05 ②
法皇林道終点
広場に駐車して出発です
8:05 ②
8:06 ②
豊受山登山道入口
8:09
幸いにも雨は小雨模様になりました
8:47
雨でぬかるんだ道は滑りやすく足元に注意しながら進みます
稜線の豊坂分岐 標高1122m
8:51 ③
登山口から46分で稜線の分岐に到着しました
8:56 ③
最後尾の到着を休憩しながら待ちます
9:04
雨雲は九州から四国へとかかろうとしています
9:15 ④
稜線を西にしばらく進むと木の鳥居があります
鳥居のしめ縄を新しいものに交換
9:21 ④
登山口は大町部落の林道整備による延伸で標高800mを超える高所に移り
![雨](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/021.gif)
![傘](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/440.png)
![お願い](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/517.png)
![流れ星](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/090.png)
![おにぎり](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/229.png)
13:48 ②
一人の怪我人もなく、無事に下山完了しました
GPSによる豊受山山頂付近-登山口の3D動画
登山口-豊受神社と周辺のGPSトラックログ
次回のお峰さんの当番は6年後の令和7(2025)年
まだ生きてたら登れるかなw
本日もお立寄り頂きましてありがとうございました
では、また